2019年9月1日日曜日

みやたのアメリカ留学 #6 空き家調査

こんにちは2Aの宮田です。

今日は午前中はどこにも行かず、以前市役所でもらった資料を頼りに滞在しているピッツバーグのモネッセンの空き家のことを調べました。

売られている空き家の値段を1つ1つ記録していくと、なんと175戸の空き家がありました。多すぎる。。。モネッセンだけでこの数なのでほかの地区を含めるとピッツバーグにはたくさんの空き家があることが分かります。

午後からは少しだけ空き家を見て回ってきました。
写真からはあまり分かりませんがどの家も大きいです。日本の空き家は原型をとどめていないほどぼろぼろの家もありますがこの地区は見たところしっかりと原型をとどめていたので、再利用できるのではと思いました。
また上の写真の右側に空き家が多く、左側は少なく、非常に豪華で敷地の広い家が立ち並んでいる印象がありました。

このような調査をするのはとても興味深くてたのしかったですが、同時にこんなにも空き家があるのかという驚きがありました。

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #14(最後まで読んでもらえると嬉しいです)

インドネシア生活2週間が経過しました、石原由貴です。
先週は毎日授業があり、放課後はフリーのはずでしたが、なぜか、なんやかんやしているうちに毎日予定ができ出かけていました。
インドネシアにいてもじっと家にいない、これは日本にいる時と大差ないですね。(笑)
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今日はじっと寮にいました。
せっかくの留学、体調を崩してしまったら勿体ないですからね。大事です、体調管理。
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久しぶりにしっかり睡眠を取ります。
起きた後は、来週の授業の準備をします。パソコン難しいです。
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2週間日本のニュースを見ていなかったので、九州に過去最強クラスの豪雨が襲っていることを知りませんでした。
近年地震や火山より豪雨による災害が身近になってきているような気がします。でも油断大敵、そんな時にこそ予想だにしていない災害がやってきます。
Semaranngにも水害があります。廃棄されたゴミなどがつまり排水処理が追いつかず水が溢れてきて洪水になることもあるようです。
洪水とはいえ少し日本とは発生要因が異なりますが。
また“水害”といえば、首都ジャカルタの水没危機も有名な話ですね。こちらは海面上昇と地盤沈下が原因のようです。現段階では2050年までにジャカルタの1/3が水没する予想。最大沈下地域では年間10cmの速さで進んでいることがデータになっています。
首都移転計画や人工島の造成、巨大防潮堤の設置等の案が進んでいるようですが、地球温暖化による海面上昇がさらにこの問題を深刻化させているようです。
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くしくも明日は関東大震災が起こった日。防災の日です。
どれだけの日本国民が意識をしているのか分かりませんが、災害はいつか必ずまたやってきます。必ず。
予知はできませんが予測はできます。しかし予測をこえてくるものが災害です。
・阪神淡路大震災が起こった当時、30年以内に地震が起こる確率は8% 
・震度6弱以上の地震が起こる確率が7%だった熊本に震度7の地震が2度発生
・100年に1度と言われていた大阪北部地震 
・30年以内の発生率はほぼ0%と言われていた北海道胆振東部地震
あくまで予測は目安にしかすぎず、予測が全てで絶対ではないのです。
“起こるはずのない災害”が頻繁に起こっている危機を、その中で30年以内に70、80%の確率で起こると予測される南海トラフの危機を今一度考えていきたいです。
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また豪雨や台風は地震と異なり、ある程度予測が可能です。なぜならある瞬間急に上空に台風や巨大雨雲が現れることはありませんよね?少なくとも2、3日前には報道がされているはずです。
防げる災害は必ず存在します。防げる災害を防ぎ、減らせる被害を減らす、その地道な努力がいつか起こる大きな災害への今できる手立てだと思います。
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「インドネシアが神戸から輸入したものは“防災”だ」と言われています。しっかり学んで帰ります。
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写真がなくてすみません。今日は美味しかったインドネシア料理の写真くらいしかないのでまたの機会に載せておきますね。

2019年8月31日土曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #13

朝からインドネシアタイム。
「今日授業あるか分からないって〜」と友人から連絡が。
授業開始25分前。私の寮からなら20分前にタクシーを呼ばないといけません。あと5分で結論を出して欲しいですがそんなことはインドネシアでできません。そんな朝でした、石原由貴です。
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結論ありました。かなり遅れて。始まりも終わりも時間通りに行ったことはない緩さです。(笑)
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行きのタクシーのおじさん、一生懸命話してくれますが、インドネシア語なので何を言っているのか分からない...という毎日です。1人でタクシーに乗ると十中八九声をかけられます。
今日は翻訳機を出してまで会話しようとしてくれるドライバーさんでした。(心の中では前見て運転して!と思いましたが、まぁいいです)
降りる時にお金を渡すと「お金いらないよ、大丈夫、勉強頑張って」と翻訳機に表示されていました。
どこまでも人に温かい国です。
こっちに来てお願いをたくさんの場面でしましたが断られたことは一度もないです。温かい。
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今日はBuilding Material(建設材料)の授業でした。
インドネシアは木が多く取れます。木材についての授業でした。
耐久性や繊維、吸収性、方向性などについて学びます。
今日はスライドではなく黒板を使ったので、綴りが読めません。翻訳以前の問題発生です。先生の素晴らしい達筆なインドネシア語をなんとか板書します。(笑)
木材についての学習を詳しくしたことはまだなかったので凄く興味深い授業でした。
インドネシアには季節が2つしかありません。雨季と乾季です。木材にとって水分は大きく性質を変える要因となります。
日本でも木造家屋は昼と夜の気温差で木が引き締まり音がなることがありますよね?
その要因を詳しくお話しして頂く授業でした。年中気温が高く、湿度だけが大きく変化するインドネシアでの木材の扱いは難しいのだと学びました。
日本も同様森林が多くあり木材が豊富です。環境保護を行いながら上手く木材を利用できる都市も素敵だと感じます。木材はコンクリートや鋼と比べ人に温かみ、安らぎを与えることのできる材料です。素敵です。
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お昼はCanteenへ。
SotoAyamがインドネシア料理で1番美味しい気がします。
スープがいいんです!これ!
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午後は同じクラスの友達4人と映画館へ。
「Yukiが楽しめる映画見つけたよ!」とのこと。
ちなみに朝6:30の連絡でした。
朝早い。(笑)だって朝のお祈りがありますもんね。
Weathering with you でした...!!!最高ですね。連れてきてくれた友達に感謝です。
周りのインドネシア人終始笑って最後は泣いていました。新海監督のストーリーと日本の映像の繊細さに驚かされます。アニメーションは日本が誇る文化ですね。
今日も日本は世界を驚かせ続けています。

日本は最高だね、いつか行きたい!と笑顔で話してくれる素敵な友人たちです。


2019年8月30日金曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #12

昨晩の賑やかさから一転、日常に戻ってきました、石原由貴です。
今日の授業は「地震工学」でした。
インドネシアでの防災や、地震発生前/発生時/発生後の比較、また地震による津波が起きるメカニズム、津波の予測技術、津波により考えられる被害等についての授業でした。
丸くドーム形のような形をしたシェルターがありどの方向からも同じように力がかかる為、地震に強い構造物があることも教えていただきました。
2階建てではなく小さなドームなので、生活自体は少ししづらいのかもしれませんが、そのようなシェルターがある事を知らなかったので勉強になります。
日本にも似たようなものはあるのでしょうか...また調べてみます。
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20の法則もなるほど...と思いました。
地震の揺れは20秒続くと思え
避難は20分以内で
津波は20mをこえてくる
いいですね、こういう合言葉のようなものがあれば子供からお年寄りまで理解しやすいです。
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津波は世界共通言語になっていますね。当然インドネシアでも。
“TUNAMI”、どれだけの大きな被害を被災地へ、被災国へ、人々へ、またその影響を世界へ及ぼしているのかを感じます。
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「日本もインドネシアと同じように地震が多い国だね、特に津波の被害は大きい」と先生も話されていました。
あの日のあの災害が世界でも記憶に残るものとなっているのであれば、きっと次の大災害にも1人1人の中で何か活かされる物があるのではないかと思います。
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次の授業ではグループに分かれてプレゼンテーションをすることになりました。題材や方法についてはいまいち理解ができていないのですが、しっかり準備をしたいと思います。
ディスカッションの時には、“日本から来た留学生”として日本の災害を異国の人に伝えることのできるチャンスだと思うので、頑張ります。
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午前の授業終了後は午後も授業があるはずだったので、一旦部屋へ帰り、違う授業の課題をしました。日本語訳をしたところで専門用語が複雑で何のことだか...という感じです。(笑)
次の授業まで待っていると、「次の授業月曜日に振り替えだって!」と連絡が。いつも急。それがインドネシアタイム。
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ということでバスに乗ってまだ行っていなかったショッピングモールへ。今まで行ったところと比べると小さめです。
Semarangは何もないことはないのですが、超有名な観光地というわけではない為、流石にそろそろ行くところがなくなってきました。
文句ではないですよ、現地情報です。
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インドネシアで何度かファストフード店に行きましたが、日本との違いを感じる点が。
食事を終えるとそのまま席を離れます。日本では返却口があってそこまで自分で持って行く、というタイプのファストフード店が多いような気がしますが、こちらでは一度も見たことがありません。
「片付けなくていいの?自分の分だよ?」と聞くと、「店員さんの仕事。それをしたら彼らの仕事がなくなってしまうでしょ?」と。
考え方や文化の違いですかね、私には少し理解し難い点でした。
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帰りはまたもあのバスに乗って帰ります。
当然時刻表などなく、(あったとしても時間守るかは微妙ですね)来たものに乗ります。
当然荒い運転です。もはや軽くジェットコースターではないかと。

そんなバスに揺られて今日もインドネシアを学びます。



2019年8月29日木曜日

みやたのアメリカ留学 #5お化け屋敷

こんにちは2Aの宮田です。

今日は昼からホストファザーに何も言われないまま「Let's go!」と言われバーベキューに連れて行ってもらいました。話を聞くと、ピッツバーグの映画関係のことを学んでいる学生と先生たちがバーベキューをしていてそれに誘われたらしいです。ここでもハンバーガーを食べさせてもらいました。美味しかったです。


その後、車で10分くらいのところに怪しい建物がありました。(遠くから見ればただの豪邸ですが。。。)
その怪しい建物は”Castle Blood”というお化け屋敷でした。ここはハロウィンの時期になると大変繁盛するそうです。今回は特別にそのお化け屋敷がどうなっているのかを見せてもらうことができました。

僕が見させてもらったときは、こんな感じで電気がついていて明るかったのですが、これが暗かったら本当に怖いだろうなと思いました。

日本にはふつうの家を使ったお化け屋敷がないため、街中にあるのがとても新鮮でした。オーナーさんともお話したのですが、もともとは空き家で、それをたった1ドル(約100円)で購入して6年かけてお化け屋敷を完成させたそうです。家が100円で買えるなんて、、、、それに驚きました。この地域は空き家が多いと前回のブログに書きましたが、その値段が日本ではありえないくらい安いです。だからその空き家を購入してこのお化け屋敷のように再利用、有効活用できたら素晴らしいと思いました。

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #11

今日の授業は8:20からだと聞いていたのになぜか7:30から授業が始まっていて行った頃には8割終わっていました、石原由貴です。
(多分先生が早めに始める気分だったか、伝達ミスか、です)
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今日は中々ありえない凄い出会いがありました。
なんと...
「ディポネゴロ大学に日本人が2人来ている、Yukiの事知ってるって言ってる」と友達から連絡があったのです。
お昼ご飯をcanteenで急いでかきこんで向かいます。
そこにいたのはトビタテ壮行会で一度会った3期生の先輩と先輩のお友達でした...!!
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まさか会えるとは!!日本語学科へ少しお邪魔した後は、一緒にdowntownへ。
rainbow village と ラワン・セウ(昨日も行ったけどそこはいい)へ。
rainbow village(カンポンペランギ村)はかつてスラムのイメージが強く、人があまり寄り付かない地域でした。
それを払しょくするため、とてもユニークな村おこしプロジェクトが立ち上げられました。村中の家を、カラフルなレインボーカラーにペイントしたのです。
とても可愛いですね、観光客も沢山くるようです。
治安も良くなり経済力も上がり、村に活気が生ます。
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その後は先輩たちが行きの飛行機で知り合った、もと議員さん(?)のような凄い方の家へ。アングーン先生も知っている方なのだとか。
向かうとそこには大豪邸。とても温かく迎えていただきました。(私は急について行っているのに)
インドネシア伝統料理を振舞ってくださりました。家庭の味...でしょうか、優しい味でした。
その後少しお話をする時間があり、私がきちんと英語を聞き取れていればですが、とても素晴らしい話をしてくださいました。きっと一生出会うことのない方に貴重なお話を聞ける有難い体験でした。
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その後は夜のスマランの街へ。
若者で賑わっていました。昔ながら(?)の通りは、神戸のような雰囲気があり素敵でした。誰とでも打ち解けやすいインドネシアなのできっと朝まで盛り上がるんでしょう。(笑)
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今日はまさかの出会いがたくさんある1日でした。
インドネシアへ来てたまたま1日だけキャンパスに寄っていたトビタテの先輩方に会い、その先輩方がたまたま会った凄い方とお食事させてもらい、その先輩方のインドネシアのお友達のお友達まで一緒にdowntownする事になったり...
ずっと日本にいると絶対になかった巡り合わせだと感じます。
今日もこの素敵なインドネシアの国で素敵な人たちに出会う事が出来たことはとても幸せです。
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帰国後先輩方とお食事に行く事に。

こんなに成長しましたよ!と胸を張って言えるように残りの留学生活も頑張ります。


(お食事会の写真は頂いたらまた追加します!)



2019年8月27日火曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #10 ーblog後半日本の方に読んでもらいたい物を載せています

今日は朝8時から授業です。明石高専より早いですね。
寝坊しまいと気合を入れて6時にアラームセットしましたが、4時半の大音量コーランで起きました、石原由貴です。
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今日は昨日より10分遅めに家を出たものの昨日よりさらに始業時間に人は来ません。当然バディもです。先生もです。慣れました。
今日の授業はEntrepreneurship(起業家精神)です。
え......?起業家......??とお思いの皆さん。
凄く良い話が聞けましたので、載せておきます。
中々インドネシア流起業家精神の話を聞けることはないですよ。(笑)
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成功する人のパターン
1.成功は習慣
2.成功する人はソリューション思考
3.失敗は成功の一部
4.成功は常に運命によって決まるわけではない
5.成功する人にはビジョンと焦点がある
6.成功する人はあえてリスクをとる
7.成功した人は決して他人を責めることはない
8.成功する人は常に学ぶ
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これの7番目を先生が説明されている時、Japaneseを連呼しながら私を指差して何か話しておられます。(インドネシア語なので分かりません。)
バディになんて言ってた?と聞くと、「日本人は勤勉だ、今日だって異国から1人で来て1番前の席で1番真面目に授業を彼女は聞いている、だから成功者に日本人は多いのだ」というような内容だったそう。
実は...今日バディが少し眠たそうであまりインドネシア語→英語翻訳がありませんでした。起こすのも悪いなぁ、と思い電子辞書とスマホを使って自力で翻訳しノートを取っていきます。今日は計算問題等ではなかったので、バディに頼らず自分でやってみよう、と。
要は先生の話すインドネシア語が分からないのでスライドを英訳していたわけです。周りから見ればひたすら先生に話しをメモしている留学生に見えたのでしょう(笑)
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その成果、写真の通り成功する人のパターン以外のノートもきちんと取れたので、お時間があれば是非。あ、英語→日本語訳はないです。
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早く教室に着いた特典がありました。スマランは日本人が少ない街のようで、日本人を珍しがられます。写真撮って!と凄く声をかけられるのでお友達ができます。
同じ寮の友達と同じ専門学科の友達2人と急遽ラワン・セウへ行くことになりました。30-40minかかります。
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ラワン・セウご存知でしょうか??日本人で知っている方はかなり少ないと思います。私も知りませんでした。
ただ、ここは観光地としてではなく学ぶべき地として日本人の皆さんに知っていただきたい場所です。
特にあの戦争時代を生きていない私たちに。
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そもそもラワン・セウとはインドネシア語で“千の扉”という意味。オランダ東インド会社がオランダがインドネシアを統治していた時代に建てられた建造物です。
この名前は社会で習いますね。
外から見た様子が千の扉があるように見えたことから呼ばれたそうです。(実際は窓です)
オランダが建てましたがオランダ人だけが使っていたわけではありません。当時は鉄道の駅として利用されていました。インドネシア初の鉄道が走った街がスマランであることはご存知でしょうか?実はそうなんですよ。
なので鉄道関連の展示も多くしています。
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ずっと駅として使われていたのでしょうか?
少し社会で触れるかどうかですが、日本もかつてインドネシアを占領していた時代がありました。1942-45年終戦の時期の3年間です。日本はオランダからラワン・セウを取り上げ、その後日本軍は通気孔や下水道として使用されていた地下の通路を牢屋として利用しました。そこへはオランダ人やインドネシア人が連れてこられて拷問も行われたそうです。
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戦争が終わってからも日本軍との関わりは続きます。戦後すぐに独立宣言をしたインドネシアは、連合国軍と戦うことになります。インドネシア人は残留日本軍に武器を渡すように求め、抵抗した日本軍と大規模な戦闘になります。
このとき亡くなられた多くのインドネシア兵の遺骨が建物目の前の道路の真ん中にある塔に今も収められています。
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建物内には美しいステンドグラスがあります。当時のまま残されているそうです。
このような長い時代を見守って来たステンドグラスを見上げた時の気持ちは言い表せないものがあります。
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一緒に連れて来てくれた彼、祖父母がラワン・セウに眠っているそうです。沢山の説明をしてくれた後に聞いたので誘ってしまって悪かった、と伝えると、「良いんだよ、知ってもらいたい」と。
私も彼から聞くまではこの歴史を詳しくは知りませんでした。オランダ建築で美しいステンドグラスがある、というくらいしか。
これだけの過去があってもインドネシアは世界最大の親日国であると言われています。インドネシアではこの歴史は必ず習うのだとか。日本人として何も知らず足を踏み入れたことを恥ずかしく思います。
なぜ日本ではこの事実をきちんと伝えないのか。
戦争は誰が悪いというものではありませんが、決して日本だけが被害者だったわけではないのです。沢山の犠牲の上に今日の平和があることをインドネシアの地で学びます。
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日本人の皆さんが何も知らずこの建物を訪れたとしてもこの建物の雰囲気に気づかされることがあると思います。
当時の写真は特に展示されてはいません。しかし、長い歴史を見守って来たこの建物が何かを伝えようとしていることは必ず伝わってきます。
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戦争を知らない人が増え、そんな人たちによって営まれている賑やかな街の真ん中にそっと建っているこの建物。

インドネシアと日本もが良い関係を維持し、発展させていくためにはお互いの歩んできた歴史を学ぶことが重要だと気づかせてくれました。