御無沙汰しております、今夏トビタテ留学JAPAN5期生プロフェッショナルコースでインドネシアに留学していました、石原由貴です。
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夏に留学を終えた今、なぜブログをupしているのか?
トビタテ留学の帰国後活動の1つ“エヴァンジェリスト活動”の報告です。
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エヴァンジェリスト活動とは、帰国後「留学をすることの魅力」「海外の魅力」を発進する活動のことで、トビタテ留学生はこの活動を行い、全ての留学計画を終了する事となります。
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私はエヴァンジェリスト活動として、「母校への訪問」と「インドネシアでの経験をもとに防災ボードゲームの作成」を計画としていました。
防災ボードゲームは明石高専防災団の活動の中で順調に現在作成中ですが、母校への訪問はクラスが多い事、中学3年生が高校受験前であること、から難しいと判断しました。
そこで、アポイントメントを取ったところ、出資企業の1つであるTOSHIBA様にて留学報告会/防災講演会をさせていただくこととなりました。
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2019年11月12日、TOSHIBA姫路半導体工場様にて留学報告会をさせて頂きました。
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留学での経験や学んだこと、そこからどうこれからに繋げていくのか、を発表させて頂きました。また、この機会に、ということで、インドネシアでの学びを生かした自分なりの東日本大震災の分析/南海トラフ地震に対する対策についても発表させて頂きました。
「自分の住む場所も危険がある事を身近に感じることができた」「改めて防災の大切さを感じた」「今日からでも準備をしていきたいと思った」
と感想をいただき、インドネシアで学んだ「“防災”の認知を上げ、身近に感じてもらう」「地域や組織による“みんなで作り考えるコミュニティ”を作る」を少し実現できたのではないかと思います。
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労働組合役員の皆さん、従業員の皆さん、貴重なお時間お集まりいただきありがとうございました。
発表資料作成にあたり改めてトビタテ留学、今後の活動について考え直す機会となり、また大きな発表の場での挑戦は貴重な体験となりました。
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これにて本当にトビタテ留学の活動計画は修了しました。
今回のこの留学を“トビタテ留学”で実現できたことは自分にとってかけがえのない一生の財産になったと感じます。
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“実は、防災って楽しい”
の気持ちを忘れずにこれからも挑戦していきます。
最後になりますが、今回の留学にあたり御支援御協力いただいた皆様、本当にありがとうございました。
(以下報告会の写真を添付しています)
2019年11月29日金曜日
2019年9月16日月曜日
まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #29 (1カ月の振り返りです)
今日無事日本に帰国しました。
日本の蒸し暑さに避暑地インドネシアへ早速戻りたい、石原由貴です。
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フライト時間は7時間なので短いのですが、今回は夜~朝方にかけてでしたので、星空と日の出を見ることが出来ました。
今まで見たことがないほど美しく満天の星空でした。灯りもなく雲の上、達成感に満たされ美しく見えたのでしょう。
日の出は4:20過ぎ、台湾上空で見ました。こんなに美しい日の出はあるのか、と思うほど。楽しかったインドネシアの思い出を胸に次の目標に向かって頑張ろう、と決意します。
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長いフライトの時間、1カ月を振り返ります。
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1週目;Semarangでの大学生活が始まると思いきや...Wonosoboでの高山ホームステイが急遽始まります。
毎日の新たな課題に予定になかったホームステイで苦痛もありました。しかし、今まで見たこともないような”残されたままの大自然”を目の当たりにし、「環境に配慮するまち、自然と共に生きるまち」について考えさせられました。
またWonosoboのまちの問題点を考え、その問題点に関する改善案をサマーキャンプに参加する多国籍チームで議論しあうことで、様々な国の環境/都市問題に関する考えや意見を聞き、異国の地の環境/都市問題に直に触れることが出来ました。挑まなければ悔しくなれないことを知りました。新しい人と出逢い、新しい自分に出会いました。
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2週目/3週目;Diponegoro大学での講義開始。
当然授業内容はすべてインドネシア語なので、自力で電子辞書やスマホを使い、先生や友人に尋ね理解していきます。
基礎工学/コンクリート工学/起業家精神/建設材料/地震工学/総合力学を毎週受講することで都市システム工学に対する専門性を高めました。またインドネシアではどのように土木を学び、活用しているのか、インドネシアでのインフラ/災害/環境について理論的に学びました。
一方で放課後には積極的に友人たちを誘い、ほぼ毎日フィールドワークに出かけます。
Diponegoro大学が位置するSemarang市は、地下水の汲み上げに伴う地盤沈下で洪水が起こりやすく問題になっている一方、ジャワ島で初めて鉄道区間とされて着工されたまちでもあります。
昔ながらのまちを残す地域や、オランダ統治時代の歴史が残されている地域、旧日本軍との関わりの深い地域に、目覚ましい発展を遂げていく地域...今この瞬間で発展していくまちを自分の目で見ました。50年前の日本の姿の中に100年後のインドネシアの姿を見ました。
”インドネシアは発展途上国だから今も尚遅れている”と言われてきたこの国には、”今この瞬間、自分の視線の先で発展し成長し続けていくインドネシア”がそこにはありました。
きっとこの今のインドネシアを数年後のインドネシアには見ることはできないのでしょう、今まさに発展を遂げようとしている国、インドネシアの最先端で、温かな人たちに恵まれ、工学を学ぶことが出来たこの環境は本当に幸せなことであったと感じます。
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4週目;Yogyakartaのコミュニティラジオ局でインターンシップ開始。
このラジオ局はメラピ山麓に位置しており、メラピ山情報ネットワークというボランティア団体の組織に所属しています。2010年のメラピ山大噴火の際にはSNSを用いた支援ネットワークを構築し被災者支援を行いました。
私はこのインターンでは特に2010年のメラピ山大噴火についての調査を行いました。
ラジオ局で当時の話や被害状況、現在の取り組みについてインタビューを行い、自身の考えをディスカッションすることはもちろん、実際にメラピ山を訪れます。メラピ山資料館を訪れ資料や過去の災害の被害状況を学びます。その後実際に山を登り、火口17㎞/4kmで被害にあった地域のコミュニティラジオ局でインタビューを行うことで実践的に防災について学びました。また、火砕流に飲み込まれた地域一体の現地調査を行い、当時の被害状況や被害地域の現在の活用法を自分の足、自分の目、自分の耳で調査・分析を行いました。現地を訪れ被災者の声を聴き、SNSを使った情報インフラの視点から防災について考え、”災害時のSNSの在り方”について、”これからの日本の防災”について、自分なりの答えを見つけ出すことが出来ました。「正解」はなく、そこには「私」があることを学びました。挑戦する人にだけ、チャンスがあることを知りました。私にしかできないことがあるのではないかと気づかされました。
さらに、Yogyakartaのまちでもフィールドワークを行います。ジョグジャカルタはインドネシアの古都であり、今もなおその長い歴史が刻まれるまちです。
宗教の垣根を超え今も人々を見守り続ける古代の歴史とその歴史を残す現代技術、その中でまさに今発展するインドネシアのまちを、共存を、学びました。
日本は今よりもっともっとよくできるのではないかと気づかされます。
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8年前の2011年3月11日の”あの瞬間”が、8年かけて”今この瞬間”ここまで連れてきてくれたのだから、何でも諦めずひたむきに努力し前向きに挑戦し続けることの大切さを学びます。
日本でも勉強をし、被災地を訪れ、ボランティア活動、その他様々な活動に挑戦してきましたが、その世界がすべてだった私に、一歩日本を飛び出したその世界は、このトビタテ留学は、こんなにも大きく広い世界を見せてくれました。これからもっといろいろなことに挑戦しようとするその一歩はきっともっともっと大きな世界を見せてくれるのでしょう。
その学び、経験を経た今それを糧とし、私らしく、新しく、その世界を広げていくことが次のステップだと考えます。
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この1カ月、よく言われた言葉があります。
「 You are brave. (君は勇敢だ。) 」
行きの飛行機から始まって帰りの飛行機まで何度も何度も言われました。
そう言っていただけて嬉しいのですが、私は勇敢だったのでしょうか??
1人でやってのけたことなんて大して何もないのかもしれません。
応募を決意した時も、応募にあたって多方面にアポを取った時も、応募書類を仕上げるときも、面接準備も。合格後は、出発までの準備、手配。出国後も、現地での生活、手配、、、本当に数えきれない方々の支援・応援・協力によってこの留学を達成することが出来ました。
誰か一人でも欠けていたのならば、私はこの留学を達成し帰国することはできなかっただろうと思います。
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいです。
本当にありがとうございました。
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今私は一つの通過点を通過したに限りません。
留学は終わりましたが、ゴールがどこにあるのか、それがいつなのか、そもそもゴールなんてあるのかは誰にも分かりません。
「 I am brave.(私は勇敢だ。)」
”まりづくりの将来像はIndonesiaにあり!”。私らしくを大切に、なりたい私を目指して私はこれからも挑戦し続けます。貫け、私!
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最後に1カ月分の写真を載せますね。(過去のBlogと重複もあると思います)
日本の蒸し暑さに避暑地インドネシアへ早速戻りたい、石原由貴です。
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フライト時間は7時間なので短いのですが、今回は夜~朝方にかけてでしたので、星空と日の出を見ることが出来ました。
今まで見たことがないほど美しく満天の星空でした。灯りもなく雲の上、達成感に満たされ美しく見えたのでしょう。
日の出は4:20過ぎ、台湾上空で見ました。こんなに美しい日の出はあるのか、と思うほど。楽しかったインドネシアの思い出を胸に次の目標に向かって頑張ろう、と決意します。
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長いフライトの時間、1カ月を振り返ります。
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1週目;Semarangでの大学生活が始まると思いきや...Wonosoboでの高山ホームステイが急遽始まります。
毎日の新たな課題に予定になかったホームステイで苦痛もありました。しかし、今まで見たこともないような”残されたままの大自然”を目の当たりにし、「環境に配慮するまち、自然と共に生きるまち」について考えさせられました。
またWonosoboのまちの問題点を考え、その問題点に関する改善案をサマーキャンプに参加する多国籍チームで議論しあうことで、様々な国の環境/都市問題に関する考えや意見を聞き、異国の地の環境/都市問題に直に触れることが出来ました。挑まなければ悔しくなれないことを知りました。新しい人と出逢い、新しい自分に出会いました。
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2週目/3週目;Diponegoro大学での講義開始。
当然授業内容はすべてインドネシア語なので、自力で電子辞書やスマホを使い、先生や友人に尋ね理解していきます。
基礎工学/コンクリート工学/起業家精神/建設材料/地震工学/総合力学を毎週受講することで都市システム工学に対する専門性を高めました。またインドネシアではどのように土木を学び、活用しているのか、インドネシアでのインフラ/災害/環境について理論的に学びました。
一方で放課後には積極的に友人たちを誘い、ほぼ毎日フィールドワークに出かけます。
Diponegoro大学が位置するSemarang市は、地下水の汲み上げに伴う地盤沈下で洪水が起こりやすく問題になっている一方、ジャワ島で初めて鉄道区間とされて着工されたまちでもあります。
昔ながらのまちを残す地域や、オランダ統治時代の歴史が残されている地域、旧日本軍との関わりの深い地域に、目覚ましい発展を遂げていく地域...今この瞬間で発展していくまちを自分の目で見ました。50年前の日本の姿の中に100年後のインドネシアの姿を見ました。
”インドネシアは発展途上国だから今も尚遅れている”と言われてきたこの国には、”今この瞬間、自分の視線の先で発展し成長し続けていくインドネシア”がそこにはありました。
きっとこの今のインドネシアを数年後のインドネシアには見ることはできないのでしょう、今まさに発展を遂げようとしている国、インドネシアの最先端で、温かな人たちに恵まれ、工学を学ぶことが出来たこの環境は本当に幸せなことであったと感じます。
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4週目;Yogyakartaのコミュニティラジオ局でインターンシップ開始。
このラジオ局はメラピ山麓に位置しており、メラピ山情報ネットワークというボランティア団体の組織に所属しています。2010年のメラピ山大噴火の際にはSNSを用いた支援ネットワークを構築し被災者支援を行いました。
私はこのインターンでは特に2010年のメラピ山大噴火についての調査を行いました。
ラジオ局で当時の話や被害状況、現在の取り組みについてインタビューを行い、自身の考えをディスカッションすることはもちろん、実際にメラピ山を訪れます。メラピ山資料館を訪れ資料や過去の災害の被害状況を学びます。その後実際に山を登り、火口17㎞/4kmで被害にあった地域のコミュニティラジオ局でインタビューを行うことで実践的に防災について学びました。また、火砕流に飲み込まれた地域一体の現地調査を行い、当時の被害状況や被害地域の現在の活用法を自分の足、自分の目、自分の耳で調査・分析を行いました。現地を訪れ被災者の声を聴き、SNSを使った情報インフラの視点から防災について考え、”災害時のSNSの在り方”について、”これからの日本の防災”について、自分なりの答えを見つけ出すことが出来ました。「正解」はなく、そこには「私」があることを学びました。挑戦する人にだけ、チャンスがあることを知りました。私にしかできないことがあるのではないかと気づかされました。
さらに、Yogyakartaのまちでもフィールドワークを行います。ジョグジャカルタはインドネシアの古都であり、今もなおその長い歴史が刻まれるまちです。
宗教の垣根を超え今も人々を見守り続ける古代の歴史とその歴史を残す現代技術、その中でまさに今発展するインドネシアのまちを、共存を、学びました。
日本は今よりもっともっとよくできるのではないかと気づかされます。
.
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8年前の2011年3月11日の”あの瞬間”が、8年かけて”今この瞬間”ここまで連れてきてくれたのだから、何でも諦めずひたむきに努力し前向きに挑戦し続けることの大切さを学びます。
日本でも勉強をし、被災地を訪れ、ボランティア活動、その他様々な活動に挑戦してきましたが、その世界がすべてだった私に、一歩日本を飛び出したその世界は、このトビタテ留学は、こんなにも大きく広い世界を見せてくれました。これからもっといろいろなことに挑戦しようとするその一歩はきっともっともっと大きな世界を見せてくれるのでしょう。
その学び、経験を経た今それを糧とし、私らしく、新しく、その世界を広げていくことが次のステップだと考えます。
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この1カ月、よく言われた言葉があります。
「 You are brave. (君は勇敢だ。) 」
行きの飛行機から始まって帰りの飛行機まで何度も何度も言われました。
そう言っていただけて嬉しいのですが、私は勇敢だったのでしょうか??
1人でやってのけたことなんて大して何もないのかもしれません。
応募を決意した時も、応募にあたって多方面にアポを取った時も、応募書類を仕上げるときも、面接準備も。合格後は、出発までの準備、手配。出国後も、現地での生活、手配、、、本当に数えきれない方々の支援・応援・協力によってこの留学を達成することが出来ました。
誰か一人でも欠けていたのならば、私はこの留学を達成し帰国することはできなかっただろうと思います。
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいです。
本当にありがとうございました。
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今私は一つの通過点を通過したに限りません。
留学は終わりましたが、ゴールがどこにあるのか、それがいつなのか、そもそもゴールなんてあるのかは誰にも分かりません。
「 I am brave.(私は勇敢だ。)」
”まりづくりの将来像はIndonesiaにあり!”。私らしくを大切に、なりたい私を目指して私はこれからも挑戦し続けます。貫け、私!
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最後に1カ月分の写真を載せますね。(過去のBlogと重複もあると思います)
1年後の18歳の誕生日をここで迎えるとはだれが予想できたでしょうか?
(wonosobo,ディエン高原)
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互いに競争し協力し高めあった仲間たちです。
(wonosobo、ディエン高原)
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日本文化紹介もしました。
(semarang)
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授業風景です。
(semarang、UNDIP)
色々なところへ友人と出かけました。
(semarang)
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ラジオ局でのインターンの様子。
(Yogyakarta)
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ジョグジャカルタでのフィールドワークです。
(Yogyakarta)
まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #28
インドネシア留学最終日を迎えました、石原由貴です。
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始まった頃はあんなにも遠い遠い先だった”1カ月”は、振り返ればほんの”3日”の出来事のようでした。ふとWonosoboでのホームステイやSemarangでの寮生活を思い出します。
この1週間のYogyakartaでのインターンシップもとても充実したものとなりました。
(それぞれの細かな最後の振り返りは#29の最後のBlogに書きますね。)
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今日はアジスチプト空港→スカルノハッタ空港へ移動です。(国内線)
国際線でのスカルノハッタ空港→関空は明日になります。
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行きは、Semarang到着なのでアフマドヤニ空港を利用したため、アジスチプト空港は今回が初めての利用になります。ちなみにこの空港は、以前のBlogで何回か紹介した、“あの空港”です。
2010年、近くに位置するメラピ山で大噴火が発生し、火山灰が航空便に影響を与え、この空港は数日間閉鎖されていました。
この話は覚えていましたか??最後に訪れることができたのでよかったです。
こんなところまで被害/影響が出たあの大災害の規模を改めて感じます。
この地で学ぶことができたことは本当に恵まれたことであり、誰にでもすることが出来ない貴重な体験であった、と携わって下さった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
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最後の、現地の方が調理するインドネシア料理はこの空港で頂きました。
当然Soto Ayam です。何度このインドネシアの方々の愛が込められた料理を頂いたことでしょう。辛い日も嬉しい日もほとんど毎日誰かと一緒に食べた思い出の味です。
この味が走馬灯のようにこの1か月の日々を思い出させます。
我武者羅に走り続けた1か月でしたね。でも今までの人生の中で1番濃い1か月だったと思います。きっとこれからも忘れることのない1か月だろうとも。
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感謝の気持ちを胸に飛行機に乗り込みます。
横に座ったインドネシア人のお姉さんと話が盛り上がります。お姉さんはジャカルタ出身でジョグジャカルタには仕事で来ていたそう。(何でこの日は帰省中)
英語が堪能な方で、この1か月の話を聞いていただきました。
“1人で1か月インドネシアで生活したの?、インドネシアへ来てくれてありがとう、たくさんたくさん頑張ったんだね、最後までその笑顔で楽しんでね!”と。
日本まで帰るんだ、6時間のトランジット旅を楽しんで帰るね、とお別れを告げて降ります。
すると...
お姉さんが追いかけてきて乗り換えのところまで案内してくれました。
最後に“よく頑張った!これはインドネシアのお土産!”とジョグジャカルタ名物のチョコクッキー巨大箱を2箱持たせてくれます。(これお姉さんが持っていたお土産全てです。)
いいよ、と断ったのですが、いいから持って行きな、と。
最後の最後までインドネシアの温かさに触れます。
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スカルノハッタ空港はとても大きいので迷います。スマホで調べながら歩いていると、掃除の方、施設職員、管理職員の方々が事あるごとに走ってきてくれます。(子供が1人で迷子になっているようにでも見えているのでしょうか...ドラえもんも一緒に歌わされましたし...笑笑)
インドネシアの温かさに幾度となく触れた時、この国で学ぶことができてよかったと心から感じます。
2010年、近くに位置するメラピ山で大噴火が発生し、火山灰が航空便に影響を与え、この空港は数日間閉鎖されていました。
この話は覚えていましたか??最後に訪れることができたのでよかったです。
こんなところまで被害/影響が出たあの大災害の規模を改めて感じます。
この地で学ぶことができたことは本当に恵まれたことであり、誰にでもすることが出来ない貴重な体験であった、と携わって下さった全ての方に感謝の気持ちでいっぱいです。
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最後の、現地の方が調理するインドネシア料理はこの空港で頂きました。
当然Soto Ayam です。何度このインドネシアの方々の愛が込められた料理を頂いたことでしょう。辛い日も嬉しい日もほとんど毎日誰かと一緒に食べた思い出の味です。
この味が走馬灯のようにこの1か月の日々を思い出させます。
我武者羅に走り続けた1か月でしたね。でも今までの人生の中で1番濃い1か月だったと思います。きっとこれからも忘れることのない1か月だろうとも。
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感謝の気持ちを胸に飛行機に乗り込みます。
横に座ったインドネシア人のお姉さんと話が盛り上がります。お姉さんはジャカルタ出身でジョグジャカルタには仕事で来ていたそう。(何でこの日は帰省中)
英語が堪能な方で、この1か月の話を聞いていただきました。
“1人で1か月インドネシアで生活したの?、インドネシアへ来てくれてありがとう、たくさんたくさん頑張ったんだね、最後までその笑顔で楽しんでね!”と。
日本まで帰るんだ、6時間のトランジット旅を楽しんで帰るね、とお別れを告げて降ります。
すると...
お姉さんが追いかけてきて乗り換えのところまで案内してくれました。
最後に“よく頑張った!これはインドネシアのお土産!”とジョグジャカルタ名物のチョコクッキー巨大箱を2箱持たせてくれます。(これお姉さんが持っていたお土産全てです。)
いいよ、と断ったのですが、いいから持って行きな、と。
最後の最後までインドネシアの温かさに触れます。
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スカルノハッタ空港はとても大きいので迷います。スマホで調べながら歩いていると、掃除の方、施設職員、管理職員の方々が事あるごとに走ってきてくれます。(子供が1人で迷子になっているようにでも見えているのでしょうか...ドラえもんも一緒に歌わされましたし...笑笑)
インドネシアの温かさに幾度となく触れた時、この国で学ぶことができてよかったと心から感じます。
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スカルノハッタ空港で6時間のトランジット旅です。
最後の買い物を楽しんで飛行機を待ちます。
明日の朝には日本です。ありがとう、インドネシア。

この写真はアジスチプト空港上空です。
奥に山がありますが見えますか?メラピ山です。たくさんの学びを得た山です。
ありがとうございました、また必ずこの地を訪れます。
2019年9月14日土曜日
まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #27 (インターン:5日目、フィールドワーク:ガジャマダ大学、鉄道、市内)
インターン最終日を迎えました、インドネシアに永住したい石原由貴です。
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今日のインターン内容は...
1週間のインターンを終え、私なりに分析したインドネシアと日本の防災環境の視点からにおける共通点/相違点を洗い出し、これを元に日本のこれからインドネシアのこれからをディスカッションしました。
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簡単に先にいくつか書いておきますね。
((共通点
・伝統的な言い伝えの有無
インドネシア...伝統舞踊/音楽による過去の災害の継承
日本...“つなみてんでんこ”など言葉/話による継承
・ハザードマップの有効性
インドネシア/日本共にハザードマップは有り。しかしそれを活用できている例は少ない。(見ていない、知らない)
・災害による被害内容が同じものが繰り返されている(過去の経験が活かされていない可能性)
・意識の低さ
インドネシア/日本共に1人1人の防災意識が低い
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((相違点
・インドネシアは人口割合が子供が多く高齢者が少ない(日本は高齢化社会であり且つ更に超高齢化社会を迎える)
・隣人、知人とのコンタクトの密
インドネシアでは村より小さな単位のコミュニティに属し日頃から交流が深くコンタクトが取れている(日本では隣人との交流を図らない国民が多く、自分周辺にどのような人が住んでいるか把握できていない)
・災害発生種類割合
インドネシアでが地震/火山被害が多くの割合を占める(台風や豪雨による被害が地形的に少ない)
日本は豪雨被害や台風に伴う被害が多くの割合を占めてきている
・公共交通機関の発達
インドネシアではここ最近で車社会に変わりつつある(高速/一般道の使用)、鉄道/航空の利用数は圧倒的に少ない
日本も同様車社会ではあるが、鉄道の利用割合が都会ほど多い(災害時一斉停止により帰宅難民等二次災害を招く可能性)
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((議論内容
・インドネシアと日本は環境条件、文化的視点が似ている
→経験や情報を共有することで互いの成長をはかる
・インドネシアと日本でのコミュニティ力の相違
→現にインドネシアではコミュニティレベルでの災害対策ができており、災害を乗り越えられている
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⇒インドネシアから日本へコミュニティ力
日本からインドネシアへ防災意識向上
を学ぶべきではないか。
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・ハザードマップの未活用への対策(インドネシア)
→政府が毎年更新、見ている人が少ない
→背景には存在を知らない、見方が分からない
→ボランティアが教育を実施することでハザードマップを有効化する努力をしている、そこから変えていかなければならない
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・災害が自分の身に降りかかるまで防災意識は上がらない
(スラウェシ島 パル 大地震の例)
昔地震による多くの死者→活断層の上に位置することからこの地域一帯が危険である事を上の世代から下の世代へ語り継いできた→若者が危機意識を持ちその地を離れた→ジャワ/カリマンタンから空いた土地へ多くの人が流入→語り尽くしがなく危険性を知らない→再び大地震により多くの死者
⇒広い範囲での知識共有、防災意識の向上が必要だった例
(アチェ大津波の例)
観光庁の中ですら避難経路等を示すものはなかった→災害発生→避難指示看板等を観光地は勿論村でも設置するようになった
⇒事前には難しい、ならば学びを2度と繰り返さない
→メラピ山大噴火後は近隣の小学校は毎年遠足の一環で資料館を訪れ経験の語り継ぎ、意識向上を図っている
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ーならば日本の防災意識向上には何が出来るのかー
・高齢者よりも子供の方が教育は簡単
→ゲームやアクティビティ、遠足、音楽の応用
・全員に同じ教育を行っても意味はない
⇒世代に応じた教育対応を取る
⇒1つのツールでは通用しない
→リアル、ビジュアルで訴える(ドキュメンタリー映画等)
→講演会等はよほど興味がないと人間は聞く耳を持たない
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インドネシアでは国営放送で各地の火山の歴史や生活をドキュメンタリー映画にして放送
→教授ではなく一般市民の意見を採用
⇒身近な遺跡や王国の災害による消失や一般市民の声を取り入れたことが話題となり有効な手段となった(伝わりやすく、面白く、身近に感じた)
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Q.日本の防災は変わることができると思うか。
A.YES.
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日本人がたまに研究に来るそう。一方的に教えるだけでなく考えをシェアする為に。
日本は一面を見れば優れているのかもしれない、でもまだまだな側面もある。インドネシアから学べることがあるはず、と話されていました。
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日本で聞いた時は9割の大人の回答はNO.でした。
一方ではなく双方になったのならば、日本はきっと変われる。日本からインドネシアへインドネシアから日本が学ぶことがきっとあるはずです。
“まちづくりの将来像はIndonesiaにあり”。
ブログタイトルです。
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インターン終了後はガジャマダ大学へ。
(えっ?!と思った皆さん、留学したのはディポネゴロ大学です)
災害研究センター(?)と名前のつく施設があるとのことなので急遽訪問。
防災関連の資料を作成し、村や市民に配布しているとのこと。資料をいただきました。帰国後参考にさせて頂きます。
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その後はインドネシアの電車に乗ります。
日本よりはるかに色々ややこしいです。
切符は30分前までに買わないといけません。乗る電車の時間も買うときに決めなければなりません。構内に電光掲示板はありません。電車が止まる位置は表示がないのでどこが何個目の車両でドアなのかわかりません。席が決まっている(特急とかではなく普通の電車です)ので、勘が外れた場合は超移動です。
しかし時間は守ります。ここだけは時間通りです。止まっている時間も長いです。
(バスは時刻表なし、時間守らない、停車時間30秒)
インドネシアの基準に笑います(笑)
共通点としては、ドアは開きっぱなしで出発です。
多分事故は起きない。
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その後ベチャに乗りマリオボロ通りへ。
ベチャのおじさん近道だからか公道逆走。
今日もここはインドネシアです。
ちなみにおじさんたちには1日のノルマが自分の中にあるらしく(あくまで自分の中)、そのノルマを達成した場合はいくらお金のある外国人でも、お金を取れる長距離でも、稼ぎ時の休日でも、“ノルマ達成したから”と断るそうです。
面白い...(笑)、いいですね、ノーサービス労働、ノー残業。
日本もこれくらい寛容になっても良いのでは?とたまに思います。でもきっとこれで回るのはインドネシアだから。素敵な国です。

2019年9月13日金曜日
まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #26 (インターン:4日目、フィールドワーク:王宮/市内)
今日もSotoAyamを食べました、石原由貴です。
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今日のインターンでは、防災ボードゲーム“RESQ”の紹介、取り組みを行いました。
このゲームは、明石高専防災団D-PRO135°という私が所属しているプロジェクトチームが開発した、遊ぶだけで防災を身につけられるゲーム、です。
小学生でも取り組める内容なのですが、それを英語で説明しようとすると...なんとも難しいです。
拙い英語ですが、皆さん真剣に聞いてくださり、2時間ほど取り組みました。
また、防災クイズなどにも挑戦していただき、これからの防災について考えを更に深めました。
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感想としては、“面白い、簡単だから取り組みやすい”と。
今のインドネシアの状況を踏まえこのゲームは勿論、今開発中の新ゲームに活かせるであろう発見を沢山する事ができ、沢山の意見を頂戴したので、是非参考に役立てたいと思います。
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“実は、防災っておもしろい”、大切な気持ちです。
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その後インターン先の近くにある小学校を訪問。
当然計画書には無いですし、インドネシア の事なのでアポは取っていません。
なぜ小学校へ行ったのか?、小学校ではどのように防災を教育しているのか調査をしたかったからです。
ちょうど小学校はお昼休みの時間。沢山の子供たちと先生にお会いすることができました。
実はこの小学校、2006年の大地震で被害を受け一度小学校が倒壊しています。現在は建て直した物、と言うことです。
小学校自体は140人、一学年一クラスの規模です。
先生によると、“地震がきたら机の下へ”という避難訓練は行なっている様ですが、日本の様に全校生徒で校舎の外へ、という避難訓練は行なっていないよう。
また、災害発生時、“どのように命を守るのか”“どこへ避難するのか”“どのように逃げるのか”という教育は行なっているとの事ですが、どこまで活きるかは分からない、と。
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避難訓練を行った経験があるかどうかで生存率がかなり変わると言うデータも出ています。
まだまだ改善の余地があると考えます。
1か月で帰国せずインドネシアで改善方法を考えたいと感じます。
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今日のフィールドワークは王宮周辺です。
現在もジョグジャカルタの王族が暮らす王宮「クラトン」。インドネシアの伝統とヨーロッパ文化が融合したジャワ建築の最高傑作とされ、その一部は博物館として多くの調度品や楽器、バティックの衣装などが展示されています。
歴代君主の栄華と生きた文化を感じることができる数少ないスポット、そこには多様な宗教と文化が融合する、独自の世界が息づいていました。
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続いてタマンサリへ。
美しい庭園の意味を持つジョグジャカルタの宮殿タマンサリ。水の宮殿としても知られています。
現在も王族が暮らす王宮クラトンから程近いこの宮殿には、スルタン王に仕える女性たちが水浴びを楽しんだと言われる石造りの入浴場があり、現在も見学することができます。
また祈祷場は、敵に攻め入られにくく、強度のある構造で、かつ建築的デザインをもつ素晴らしい建築物でした。
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最後はマリオボロ通りへ。
南北に貫く目抜き通りで、王宮へとつながる道は、かつて特別な行事の時に花で飾られていたことから花飾りの意味を持つマリオボロと名付けられたと言われています。
お土産を購入し、屋台へ。夕方になると賑わってきます。今日も今日とてローカル屋台で地元の人の温かさに触れインドネシア料理を味わいます。
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ここだけの話、細かい事があまり気にならない、お腹が強い、という2点を満たす方はショッピングモールや最新店ではなく、ローカル屋台をオススメします。
100%屋台の方が美味しいです。(インドネシア料理が口に合う人に限ると思いますが)(もうすぐ1か月ですが一度も体調は崩していません)(ほぼ毎日屋台で食べてました)
2019年9月12日木曜日
まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #25 (インターン:3日目、フィールドワーク:遺跡巡り)
今日も元気にインドネシアを満喫中です、石原由貴です。
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本日のインターンは、自身が行ってきた“西日本豪雨 岡山県真備町災害ボランティア”についてプレゼンし、あの日の出来事、その後、ボランティア活動についてディスカッションをしました。
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PWを用意していても、日本とインドネシアで中々環境も違う為理解して頂く事が難しい場面もありました。(英語力がなくて伝わっていない所もあったとは思いますが。)
インターン先の方々はとても真剣に話を聞いてくださり、沢山の質問をして下さいました。改めて自分の詰めが甘かったポイントを確認する事ができました。また私からも質問をさせていただき新たな知識を得ることができました。
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((岡山県真備町
・同じ災害はまた岡山で起こると思うか?
→起こると思う、天災もあるが人災が繰り返されると感じている、ハザードマップや避難訓練の活用をこれからも行わないと考える為。
・岡山の地形が関係していたのか?
→明確には分からないが、山に囲まれており川の決壊により流れ込んだ濁流が街の中に溜まった為、盆地だった場所も考えられる
・日本の被災後政府はどんな対応を行なっているか?
→東日本の代表例では底上げ、もちろん支給や支援金補助等も行っているが、その土地を再利用する為に行っている
・真備町での産業は?
→農業は行われていた、またたけのこも特産品だった、しかしオフィスワーカーの数も一定数だった
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((インドネシア
・インドネシアにもハザードマップはあるか?
→あるが、日本同様、確認している人は少数、役には立たないと考えられる
・インドネシアではどのような避難所なのか?
→大きい建物がない為、日本のようには避難しない、軍のテントを張り一時的な避難所に。各地からの寄付を募り、永住できるパーマジェントシェルターを建てる(快適ではない)
・インドネシアでの避難訓練は?
→1年に1回程度。イベントなどでプロフェッショナルを呼び災害発生時や過去の経験を伝えている
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★2004年バンダーアチェでの大津波
小学校での避難訓練を1年に2回、逃げる手段、方法を身につける。看板を設置し逃げ道を視覚化。
★津波発生当時は、津波により近かったシメール島では犠牲者は2人、離れたアチェでは何倍もの犠牲者が出た
→昔から語り継がれる知恵が影響?インドネシアには過去の災害を伝統的な歌や詩で伝える風潮がある、シメール島ではそれが上手く語り継がれていて、自分たちで逃げることができた
★伝統舞踊での継承は現在は?
→各地に伝統舞踊や芸能に災害の怖さを伝えるものがある、しかし若者への継承が薄れている、だからアチェでは伝統があっただろうがあれだけの被害を生んだ
★2018年ロンボク島での大地震
→インターン先のラジオ局がシステム開発、誰が亡くなりどのような被害が出ているかが民間にプライベートでシェアできるシステムの確立
→その中にエリアごとに被災状況を分けて表示したことで、救援物質がより確実に必要な所へまわるようになった
→被災時被災者はどこから情報を得られるのか分からず、多くのサイトをアクセスしなければならない、そのサイトを1つにまとめ一箇所で見られるシステムを作ることで、情報の立場から被災者支援を行っている
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ーインドネシアの人々の防災意識は高いと思うかー
インドネシアでは半官半民でupされた情報を誰でも見られるシステム、1-10のレベルなら今は6くらい、これからもっともっと教育を行なっていくことで向上できると感じる。ただインドネシアは社会やキャラクターとして助け合いは当たり前、小さなコミュニティから助け合いができる為、それが防災に役立っていると感じる
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インターン後はフィールドワークに出かけます。
今日は遺跡巡りpart2です。
ボルブドゥール遺跡/パオン寺院/ムンドゥット寺院に訪れました。
話が長くなるのでボルブドゥール遺跡だけ載せますね、死ぬまでに観たい世界の絶景に選ばれた場所ですしね。
ボルブドゥール遺跡は、8世紀~9世紀にかけてこの地方を支配していた「シャイレーンドラ王朝」によって建造されたと言われています。メラピ山の大噴火で(メラピ山また登場ですね)火山灰に埋もれ、その後、密林に姿を消し、地元民にも忘れられていた建造物が1814年イギリス人のラッフルズによって偶然発見され、その後、12年の歳月を経て遺跡の全体像が掘り起こされました。
(ラッフルズさん、あのラフレシア見つけた方だそうで。だからラフがつくんですね〜。)
遺跡は全体で9層の階段ピラミッド構造の高度な石造りになっています。遺跡は下段から上段にいくに連れ、「欲界ー色界ー無色界」を表現しており、これらを見ながら最上階に上っていくと、悟りの道が開けるとされています。
3人の王様が50年の時間をかけて作ったそうですが、月日が経ち3人目の王様の時には少し崩れかけていた、と言われていて現在の基壇の更に下に、古い基壇が隠されるように土に埋もれています。強度を上げる為だったのか...?隠したい何かがあったのか?
ボルブドゥールは世界最大級のストゥーパ遺跡でもあり、石のブロックを漆喰などの接着剤の類を一切用いることなく積まれていてます。しかし頂上にある特大ストゥーパだけは、中央が空洞になっています。
文書も残っておらず謎多き遺跡です。
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レリーフが本当に美しいです。一つ一つストーリーがあり、とても興味深いです。また他の遺跡に比べ排水設備をより充実させており、また崩れにくい構造上の工夫もあり本当に面白いです。
下から見ると頂上までの全ての階は見えません。人間の欲が渦巻く地界から天界を見ることは許されない、見てければ修行を積むべき、という仏教の教えが刻まれているのだとか。少し離れた西側の広場からのみ全ての階が見えます。修行を終えた人が降りてくるのは西側。全てを終え振り返った時のみ見る事が許される、という暗示なのでしょうか?深いです。
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なんとサンセットも見る事が出来ました。
刻々と変わりゆく情景を、無数に並ぶストゥーパに囲まれて眺める幻想的な景色から、宗教を越えて、ボロブドゥールという場所の神聖さを肌で感じることができました。
2019年9月11日水曜日
まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #24 (インターン:2日目、フィールドワーク:メラピ山)/インターンのメインなので是非読んでください
昨日のBlogでやたらメラピ山を連呼していました、インターン2日目の石原由貴です。
連呼していたと言うことは...今日行きます。
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インドネシアは130の活火山(世界の16%相当)を持つ世界有数の火山国です。中でもジャワ島中部,ジョグジャカルタ特別州の北側に位置するメラピ火山は,5~10年の頻度で噴火する,世界で最も活動的な火山の一つです。
2010年の大噴火では2006年の大噴火の3倍の威力を持ち、火砕流は20km先まで流れ、死者386人、避難者15,366人と大災害となりました。
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はじめにミュージアムを訪れます。ここは2010年の被災時には火山灰が堆積したエリアです。
メラピ山をはじめとする、インドネシアの火山についての情報はもちろん、過去の災害、そこからの復興を見ることができます。
また実際の噴火により飛んできた岩石が展示されていたり、火砕流が流れ込んだことで黒く焼けてしまった家や家財道具等も展示されています。
日本では中々見ることができない自然の脅威を目の当たりにしました。
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その後火口から17kmほど離れた所の村に訪れます。
この村は2010年の被災により消失した村が政府の支援により村ごと移り住んできた事でできた村です。
そこでかつてラジオ放送をしていた方にインタビューする事ができました。(2010年までは現役、その後は緊急時のみ)
2010年での災害では、それまで最大でも10km以内の被害範囲であったため、多くの村人が20kmの被害を想定しておらず380人もの死者を生んだと伝えて下さいました。
また現在情報伝達はラジオではなくなり、スマホが普及した為、政府の観測所によるSNSのアカウントで情報発信を行なっているそうです。
しかし最新のテクノロジーだけでなく、昔からの掲示板や放送を使った情報伝達を行なっている村もあるようです。
観測所以外からの情報を得る手段としてラジオが上がるそうですが、伝達が遅い為、What upなどのアプリケーションを使用した住民同士の伝達が進んでいるようです。
*2010年時点では避難しないために巻き込まれた方が多かった、今は?
→その後、住民は少し大きめの噴火の際は積極的に逃げるようになった
*2010年以降何か災害対策を行うようにはなったか?
→将来の大きな噴火に備え、小学校では学校レベルでミュージアムへ行き学ぶなど教育を行うようになった
*これから同じ事を繰り返さないため大切なことは何か?
→2010年の記憶を若者へ伝え続けること。忘れてしまわない事、覚えておく事がこれからの防災に繋がると信じている
*政府からの意外な援助
→家畜を多く飼う国。2010年の災害時にも牛・ヤギが多く被害にあった。家畜は財産である為国が補償をした。
また牛を飼っていると牛が村の草を食べていた。しかし牛がいなくなった事で村人が自然を大切にしなくなった。インドネシア政府は自然を守るよう住民に指示している。
人間だけでなく動物にまで補償が出た例は非常に珍しい事だった。
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その後道中でインタビューさせて頂いた方がかつて住んでいた村へ行きました。(13km地点)
火砕流が流れ込みえぐり取られた大地は現在砂防ダムとして使われています。(6箇所設置)
メラピ火山事業で得られた知見は日本の基準類や桜島及び雲仙普賢岳における火山砂防事業等に多数フィードバックされており,インドネシアに対する技術協力は,インドネシアだけでなく日本における火山防災の発展にも貢献しています。
また現存家屋は壁の一部のみとなっており9年前で時が止まっています。
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次に火口から4km地点、頂上から1番近い村を訪れました。
ここでは現在もコミュニティラジオ局が設置されており、インタビューをさせて頂きました。
2006年の大噴火では初めての大きな災害に政府の指示がないと動けない村人が、2010年には2006年の経験により自分たちで動く事が出来たそうです。
ラジオ放送をする場も実際に見学させて頂きました。
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現在は、
1.噴火後の生活維持のため財産の貯蓄を促す活動
2.村より小さな単位でミーティングを開く
→災害発生時どのような対応を取るのか、役割分担を重点的に話し合っている
→火山の様子を見に行く人、村人を誘導する人、観測所と連絡をとる人、誰が逃げ、残っているかを調べる人...など。
3.子供への伝統舞踊を用いた伝承
→ジャワ伝統音楽(ガムラン)、ジャワ伝統ダンス(ジャティラン)などの芸術に災害時の話を盛り込むことで、子供でも理解し学べるように工夫
→演奏はスポンサーがついておらず、寄付金によりボランティアで行っている
→政府や市の援助を待つのではなく、自分達のできる範囲で子供にもわかるように防災に日頃から取り組む事を大切にしている
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このコミュニティは成功したいい例とし、世界各国からコミュニティの維持や存在の学びの発信地となっています。
始まった当初はネットもラジオもなくかなり経営が厳しかったそうですが、今は電波を使った教育が可能となった。
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*防災活動において1番大切なことは何か?
→災害が起こりうる地域として、環境を学び知り、何をすべきか考え、子供への教育をする
→自然に守られていることを知り敬意を払う
(木を売れば高く売れる、しかし木の伐採を行う地火砕流の到達が早くなる、つまり自然に守られて生きている)
→自然は災害をもたらすものだが、一方で自然の恩恵を受け守られている。そのことを忘れずにいる事、自然の中で自然と共に生きること。
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現地に訪れて見ないと分からない事がある、とはよく言いますが、このことだと感じさせられます。
自然の中に人間がある事を、自然と共に生きていくことを、学びます。
これだけの被害にあっても戻ってくる方がとても多いのだとか。自然を愛し災害を受け入れ自然と共に生きる、日本では考えられない考え方・知識・技術に触れられました。
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ここで話が変わりますが...インタビューをさせていただいていると大勢の日本人が。
FMYYの日比野さんと神戸学院大の安富先生に会いました。
安富先生はD-PROの活動で以前お会いした事があり、私が登壇した事を覚えてくださっていました。
またFMYYの日比野さんは、出国前にテレビや記事などで何度も拝見し防災の勉強をさせて頂きました。またジョグジャカルタ日本人の会に防災アンケートをお願いし統計調査を行なったのですが、何とそれが日比野さんの元にまで届いており、「あのアンケートの大元の高校生はきみか!」と。帰国後機会を設けお話を伺える事となりました。
「まさか1人でこんな所まで飛び出してきたのか?!」
と。まさか世界有数の火山、メラピ山の火口4kmの地点で偶然にもお会い出来るとは思ってもいませんでした。
人の縁、繋がりとは不思議なものだと考えさせられます。
人の繋がりを上手く使う防災技術を見つけたいです。
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