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2016年9月30日金曜日

ネパール35日目+後書き

今日でとうとう僕の留学も終わり。人生の一区切りが終わった。この留学で最も学んだこと。「1つの終わりは次の始まり。」ネパールを発つ飛行機のなかで僕はもう特に感慨のようなものも感じない。トビタテの方々も話していたが、この留学はゴールではなく、あくまで通過点なんだから。
タイのスワンナプーナ空港では馬油の会社の会長さん、陶芸家の方、不動産関係の方等たくさんの日本人とグループになり行動した。夕食をご馳走になったり色々とお世話になり、助けてもらった。
飛行機内では日本のネパール料理店に出稼ぎに向かう父と中学生くらいの男の子に出会った。僕にとっては安心感でいっぱいのホームである日本だが彼らにとっては遠い未知の異国。期待と不安でそわそわして落ち着かない様子で日本について質問攻めに。やはり海外に出るならばホームである日本についてもしっかりと熟知し、教えられるようになることは必須だなと感じた。
午前6時頃に日本に到着。どこにいっても日本語が通じるなんて便利すぎるなぁとよくわからない嬉しさでいっぱい。とりあえず家に帰るまでが留学なので、電車へ。スマホでしっかりと経路を調べ、迷わないように最短ルートで向かう。そしてついに午前10時頃自宅に到着。
これで僕の留学も終わったんだなという実感が静かに込み上げてくる。いつもよりも重く感じるドアを開ける。家で飼っている小鳥たちが騒ぐ声が聞こえる。
そしていつもよりも大きな声ではっきりと言った「ただいま!」
後書き
帰ってきて数日が経過した。僕は少しくらい成長できただろうか。まだまだ実感はできてないが、あたりまえであって感謝を忘れていたこと。そんなことにたくさん気付くようにはなった。日本語が通じること、ご飯が美味しいこと、いつでも蛇口をひねれば清潔な水がでて、温かいシャワーが浴びられ、浴室にはお風呂がついていること、医療が発達して病気をしたら病院にいけること、ぼったくられなくて、お店の全ての商品にはちゃんと適正な価格の値札ついていること、夜道を一人で歩いても安全なこと、ベッドがふかふかなこと、洗濯機があること、雨でもなんとか洗濯物が乾くこと、、、と、挙げたらがきりがない。そんな一つ一つにありがたみを感じられるようになったのは本当に幸せなことだと思う。
そして、人生への向き合い方も少しだけ見えた。「きっとこれからも人生はまだまだ続くかもしれないし、もしかしたら突然本をパタンと閉じるように終わってしまうかもしれない。未来に絶対も確定もない。だからもがかなくちゃ。僕は不器用なんだ。できることから一歩そして一歩、踏みしめて歩こう。今を生きよう。」と考えを持つようになった。
今はまだこの留学についてたくさんのことを感じている最中で上手くまとめるとかそんなことはできないけれど、ただ、応援してくださったたくさんの方々、本当に本当にありがとうございました。
僕の留学ブログはこれにて終わりです。
けれど総括の言葉が上手く思いつかないないので最後もいつもと同じように書くことにします。
それでは、また明日。

2016年9月26日月曜日

ネパール34日目

33日目は朝から夕方までポカラからカトマンズへバスで移動。カトマンズは雨でおとなしくホテルで荷物の整理などに勤しんだ。移動でほとんど一日が終わってしまったため詳細は割愛。
そのかわり今日たくさんのことがあったのでそちらをどっさりと書かせてもらう。
以下本編
まずバンダ(ゼネラルストライキ)について説明する。バンダはネパールで定期的に開催される今の政治体制に不満を持つ者たちが開催するデモで、バンダの日は終日車等の交通網は停止し(もしデモ団体に車を乗っているところが見つかるとへたすればボコボコにされる)レストランや土産屋も全て閉まる。困った行事だ。
そしてその行事がちょうど今日開催されると2日前に在ネパール大使館からメールが入った。しかし昨日、街の様々な人に確認したがバンダの話なんか聞いていない。前日までには国営放送で告知があるはずだがなかった、と口を揃えて言う。どうやらJICAでネパールを訪れている日本人の方に確認したところ、今回のバンダはなぜか中止となったらしい。きっと神様が最後の一日を楽しめるよう計らってくれたのだろう。帰ったら旅が安全で楽しくなるようにと願った神社さんにお礼参りに行かないと。
またカトマンズの交通渋滞は恐ろしく、そこらじゅうでクラクションが鳴り響く。街が騒がしく、混みあいだすと実践活動どころではなくなる。なので朝の6時から騒がしくなり始める8時半までを実践活動にあてた。早朝は人もまだまばらで現地の人々の素の生活の一部を垣間見ることもできた。それとカトマンズのゴミの量はポカラなど他の都市が比にならない多さで、半径1mの円の中にだいたい5個くらいは落ちている。けっきょくホテルの近辺の清掃で精一杯だったが、きれいになった路地を見るのはなかなか達成感がある。車にひかれそうになったが、少しでも現地の方になにか少しでも伝わっていたらいいな、と思う。
終わったあとは最後だし、少し肩の荷をおろして思いきり観光させてもらうことにした。今までたくさんの圧力をかけられてきたが、やることもやったし、今日くらい自分が楽しむためにたくさんの時間をさいてもいいだろう。自分へのご褒美というわけだ。
というわけで午前はとりあえずタメル(カトマンズ1の土産物屋地区)をぶらぶらと見てまわる。どこもやはり高い言い値をふっかけてくる。年端もいかない日本人などカモらない手はないというようだ。そこで、しばらく言い値を聞いて回り、いかついサングラスを装着。あらためて違ういくつかの店で言い値を聞いてみる。平均して20%くらい言い値が下がった。なんだこれ。人は一見にしかずと言うがやっぱり見た目は大事なんだ。
そして午後はまずタメルからタクシーで20分かけてパタンという大きな寺がそこらじゅうに建ち並ぶ仏教都市へ。お目当ては寺の見学とガネーシャという日本人の経営している土産屋だ。
到着後、まずは寺の見学はさておき、ガネーシャへ。土産の購入に加え、パタンの観光やネパールについての話、予備知識等の情報を仕入れるためだ。日本語の上手なネパール人のお姉さんが迎えてくれ、奥には店主の日本人のおばちゃんが。彼女は西宮出身で、関西弁に親しみが感じられた。路地を一本外れると住宅街にガラリと様変わりし、人々の素の暮らしを垣間見れると教えてくれたので、購入した土産と荷物を預け、いざ裏路地へ。メインストリートにあれほどいた観光客はまったくいない。建物の縁に腰掛け数人のおばちゃんたちがぺちゃくちゃと世間話に花を咲かしている。都市部の、商売人としてのネパール人ばかりを見てきた僕にはとても新鮮に感じる。しばらく歩くとお姉さんたちがせっせと機織りをしている。写真撮っていい?と聞くと、かなり照れながらも快諾。本当に親切な人ばかり。その後なにやら火花を散らしながら金属を加工しているおじいちゃんを見つけ、また写真の許可を求めると、中に入って近くで見せてやる。と張り切ってくれた。しばらく作業を見学。何を作っているのかはよく分からなったが、おじいちゃんとたくさん話をすることができた。彼には3人の息子と2人の孫がいて、孫がかわいくて仕方がないだとか、お前は次男にそっくりだから気に入っただとか、長男はフィンランドに出稼ぎに出てここ10年近く戻っていないだとか、とにかく身内の話が大好きで、家族愛に溢れているおじいちゃんだった。別れ際に家族は宝物だ、なによりも大切にしなさいという言葉をくれた。素朴で親切で家族を大切にする、そんなネパールの人々の素の姿を少しの時間だが感じることができて、本当にいい体験をしたなと思う。
そしてゴールデンテンプルというこじんまりとしているがまさしくゴールデンなお寺を拝観。なぜか一人のおじいさんに気に入られ、色々と寺を案内し一つ一つの仏像について丹念に説明してくれた(ほとんどネパール語のため理解できなかったが)。そして基本的に一般人は立ち入れないお経をお坊さんたちが詠んでいるところも許可をとってくれて見させてもらうことができた。日本のお経より少しリズミカルだった。そして一通り見学もしたので、おじいさんにお礼と別れを告げ、ガネーシャで荷物を受け取りタメルに戻る。
次はガネーシャのおばちゃんが教えてくれたネパールでは珍しい、最初から適正価格(普通の店舗で値切った場合の底値)で土産を売ってくれ、すべての商品に値札がついているアメリアクラフトというお店へ。シンギングボールという金属のおわんのようなものを購入。木の棒のようなものでシンギングボールのふちをなぞるにクルクルと回すと「ほわんほわん」と独特の美しい音を奏でるものだ。
そして次はフレンドリーエクスポートという日本人経営のショールのお店へ。
ここの店主のお姉さんが面白い人でショールのことも忘れ、二時間くらい話し込んだ。彼女はネパール人と結婚し、ここ4年くらいはずっとネパールに住んでおりネパール語も流暢。現地人のこともよく知っており、ネパールの現状を色々と教えてくれた。そしてショールの方も直接彼女が生産場にオーダーしたハイセンスなものがかなりリーズナブルな値段で揃っている。安いものだと400Rs、かなりいいカシミヤ80%くらいのものでも4000Rsくらい(1Rs=約1円)で、質の方も日本のものよりも高いくらい。日本で同じものを買うとだいたい3~6倍くらいする。使われている素材についてや、安いものがなぜ安いのかなども事細かに説明してくれ、家族等へのお土産も含め計9枚購入した。
ホテルに帰るとなぜか荷物が他の部屋に移され、明日からプロジェクトアブロードのプロジェクトに参加するおじさんとおにいさん(偶然二人ともドイツ人)と合部屋に。おいおい勘弁してくれよと心底不満に感じる。しかしまあ1日くらい別にいいやというわけで容認。食事の席などでいくらか話をし、少しはお互いを知ることができた。
そして夕食もシャワーも済まし二人は就寝。僕はブログをかきはじめた。右からはおにいさんのドイツ語の寝言が、左からはおじさんのいびきが絶えず続いているが、まあ寝れないことはない。
実践活動も完遂、喧騒の街カトマンズで思う存分楽しむこともでき充実した最後を味わうことができた。
明日はとうとうネパールとの別れ。
それでは、また明日。

2016年9月24日土曜日

ネパール32日目

午前七時。最後の朝食、最後の談笑を楽しむ。相変わらずくだらなく、とりとめのない話。表面では談笑に花を咲かせているように見える。でも、別れは近い、そう心のどこかでずっと考えている。
午前八時。ポーターがホステルに到着。お別れの時間だ。別れの花を耳にかけてもらい、乳白色に輝くストールが首に巻かれる。そして皆で写真撮影。皆との時間を少しでも引き延ばしたいと言わんばかりに、もう一枚、もう一枚とたくさん写真を撮る。
そして、旅立ちの時はきた。メンバー全員と力強い握手、抱擁を交わし、僕は歩きだした。目頭が熱くなる。さよならと別れを惜しむ声が背中からたくさん聞こえる。でも、僕は振り返らない。今ここで振り返ったら、きっと栓をしている熱いものがとめどなく溢れてしまうから。さようなら、と心で小さく呟いた。

僕は切り替えのはやいのが取り柄だ。少し歩くと、すでに次の物語、次のステップへと頭は切り替わる。まるで何かのスイッチをパチッと弾いたかのよう。
ポーター兼ガイドである彼は別れの時間にさきにジープステーションに向かってしまい、僕はさっそく、この迷路のような村を出ることすらできず迷子になる。とにかく道行く人に声をかける。「ナマステ。Where is the Jeep station?」皆親切に教えてくれるが人によって真逆を指差したりとまちまちで困り果てる。ふいに子どもたちの声が近づいてくる。「Origami!!」見覚えがあるなと男の子を見るのと、そう声をかけられるのがほとんど同時だった。折り紙教室で最後まで熱心に作り方を覚えようとしていたあの子だ。道に迷って困っているんだと話すとジープステーションにつづく一本道まで案内してくれた。本当に助かった。ありがとう少年よ。ただ1つだけ、僕の名前は折り紙ではない。
そして一本道を駆け降りていく。今日は仲間の歩調に合わせる必要もなく、また「ポーターに追い付かなければ」という大義名分もある。僕は大好きな下りを夢中で駆けた。次から次へとどこに足をつく?と判断が迫ってくる。途中いくらかの登山客の「あいつイカれてるぜ。」などという言葉を小耳にはさんだが、クレイジーでけっこう。僕は今降りることが最高に楽しいのだ。逆にガンドロック方向に向かう村人に黒くてでかいリュックを背負った男を見たかと問うと20分くらい前に通ったと聞いた。ジープステーションまであと3分というところでポーターに追い付く。一安心だ。それからは疲れた足を休めるようにポーターとゆっくり歩く。
そして、ジープステーションに到着。少し待って、ポーターに別れを告げ、ジープに乗り込む。今回は11人。いつも通りのぎゅうぎゅう詰めだ。いつもと違うのは、あまりの揺れにゲロを吐いてしまったときのためのエチケット袋の配布サービスが加わったことと、隣にアラビア系の男性と白人女性のカップルが座っていること。話してみると、白人女性はベラルーシからきたドニャという女性で、アラビア系の彼はビンラディンという名で、ドニャは数年前に日本を旅したと言った。スマホには東大寺のストラップが。大阪、奈良、京都、東京、それから富士山にも登ったらしい。大阪が一番好きという彼女に大阪産まれの僕はついつい嬉しくなってしまう。しばらくすると眠気が。爆音で鳴り響く音楽と恐ろしい揺れをもろともせずに居眠りができるようになった自分が恐ろしい。
乗車から三時間くらいたっただろうか、ポカラに到着。ジープの運転手のラミスとフェイスブックを交換して別れ、ホテルへ。以前訪れたときとまったく同じ部屋に案内される。荷物を置いたあとはすぐに昼食にでかける。前から気になっていた本場顔負けと名高い中華料理店へ。ぎっしりと中国語と英語でかかれたメニューがざっと10ページほど。迷いに迷い、けっきょく餃子、チャーハン、カツレツを注文。なぜか「本当にいいのか?」と確認されたがてきとうに流し、しばらくすると料理が。日本のそれの2.5倍くらいの巨大なサイズに絶句。彼の言葉の意味をやっと理解した。美味しいが食べても食べても終わりが見えない。けっきょくどれひとつと食べきらぬまま店を出た。そのあとはしばし清掃活動に勤しむ。途中から雨が降ってきたので、中断し、自分へのお土産探しにお土産屋を回る。基本的に商品に値段はなく交渉次第だ。気に入った腕輪を3つまとめて買うことに決めた。当初の店主の言い値は1つ550Rs(1Rs=約1円)。いくつかの店を回ったがこんなに高い言い値は初めてだ。それが面白く、ここの店で値引き交渉しようと決めた。彼が3つで1650Rsと言い終わる前に、「いいや3つで600Rsだ」と被せる。他の店では1つ250Rsだったからそれより安くしないならいらないとてきとうに嘘をつき、強気で攻める。「分かった。700Rsで手を打とう」と店主。一瞬にして値段は半額以下に。しかし僕は譲らない。「聞こえなかったか?600Rsじゃなきゃいらないって。」と畳み掛ける。すると「他をあたりな。」とあちらも攻勢に。「OK。じゃあな。」と店を出ようとすると、「分かったよ。600Rsで手を打つよ。」と彼。勝った。けっきょく1650Rsから600Rsに。「値引き交渉はできますか?」とご丁寧に聞いていた昔の自分が懐かしい。店主の様子からして、たぶん1つ150Rsくらいまでは頑張れただろうが、自分がほしい価格で購入できたから満足だ。当初苦痛だった値引き交渉も今じゃ楽しみの1つに。他の土産屋で子供たちの顔写真が載せられたトランプを購入。雨足が強くなってきたのでホテルに戻る。
夕食に行きたいレストランもあったが、下水道の整っていないポカラの道路はすでに水深10センチくらいの川となっている。諦めてホテルで夕食をとる。ふと、皆でわいわいと食べたガンドロックでの夕食、そしてそのあとのトランプを思い出す。ポカラのほうが食べ物の味は格段に上だが、一人での食事はやはり物足りない。
すると、リカードから「そっちはどうだ?楽しんでるか?」と連絡が。嬉しくて馴れない英語でのSNSにも夢中で取り組んだ。色々と話し込み、気づけばもう寝る時間も近づいてきた。おやすみを言って、温かいシャワーを浴び、Wi-Fiもサクサク動くので、YouTubeで1か月ぶりの日本のロックを楽しんだ。
そしてブログをかきはじめた。

明日はカトマンズへ移動。日本帰国ももう目の前だ。無事帰られるよう最後まで危を引き締めていこう。

それでは、また明日。

2016年9月23日金曜日

ネパール31日目

今日は調査最終日。皆とは明日の朝でお別れだ。今日はガンドロック最後の1日にふさわしい本当に運のよい1日で、ヒマラヤがぼくを祝福してくれているのかなと感じた。
朝から快晴で懸念していた洗濯物が乾かないかもしれないという問題も無事クリア、噛み締めるように向かった朝の野鳥調査では大きなイーグルが3匹も観測できた。さらにそのうちの1匹は僕らの頭上を旋回し、思いのままに眺むことができた。イーグルは本当に大きく、僕が腕を目一杯広げたそれよりもさらに一回りも二回りも大きい。さらには普通のトカゲの3倍程度のサイズのサラマンダーを2匹も見つけることができた。本当に忘れられない調査となった。帰り道にはセミの脱け殻を発見。僕にとって至極身近なものだけれど皆は興味津々。ホステルにいるホストファミリーに見せるため、カールがとても大事そうにセミの脱け殻を運ぶ姿がとても滑稽でいい思い出がまた1つできた。
午後はカメラトラップのセット作業。今回セットしたカメラに写る動物を見ることはできないが、日本で同じような観測活動行うときのため、頭に手順やコツを叩き込んだ。途中熊の足跡やヘビを見つけたりという発見もあった。また帰り道にラジが、次は嫁と子どもを連れて顔を出しに来いと言った。嫁と子どもができる前提のツッコミどころ満載のコメントだったが本当に嬉しかった。
ホステルに戻ったあとは、ホールのチョコレートケーキを予約しにいった。そしてそのままジャーマンベーカリーでティーブレイク。下らない、とりとめのない話が本当に楽しい。これも最後なんだなと思うと心が痛む。
ベーカリーから帰る途中リカードが少し早いが餞別だ、と彼のお気に入りのブレスレットを僕の腕に託してくれた。彼が花見と富士登山と僕に会いに来るために日本を訪れるときに、そして僕がベネチアのリカードのところを訪れるときにイタリア語も少し勉強しておこう。本当に最高の友だちをもった。
帰ってくるとさすらいの土産売りがホステルの庭に土産物を広げていた。かなり高い言い値で、わざわざ今買う必要もなかったので特に値切り交渉などもせず、商人とお話だけ楽しませてもらった。
夕食のあとはケーキだ。ケーキには「Luca and Asahi」とかかれている。リカードも近々イタリアに戻るので名前を入れたのだが店主の大幅なスペルミスでなんと「Luca」に、、、いったいどう間違えたらそうなるのだろうか。まあそれもまた笑いの種になったので問題ない。生クリームがしつこくて、苦戦したが楽しく頂くことができた。
そして談笑を楽しみ、一人また一人とベッドに戻って行く。残ったのはリカードと僕とマリオン。マリオンも調査中ちょっかいをかけあう仲のよいフレンドで、二人とも今日は遅くまで一緒に過ごし、たくさんくだらないことを話した。また、毎晩9時にウェザーステーションという専用の機械を使った記録が当番制であり、今日はリカードが当番だったのだが、適当にボタンをポチポチと押しているうちに機械が初期化。焦りながらこそこそと機械をいじる姿が本当に面白い。焦る写真載せておこう。そして「おれたちは何も知らない。何もなかったよな。」と子供じみた言い訳を僕とマリオンに言い聞かせているのか、自分に言い聞かせているのか知らないが何度も繰り返していた。そういう子供じみた面と、大人びた普段の物言いのモザイクもまた彼の魅力だと思う。明日たっぷりとラジにしぼられている姿が目に見える。
ラジがメインルームを閉めたあとも庭で立ち話。ふと見上げると、満天の星空が僕たちを見下ろしている。なぜかガンドロックからは月が見えないが、カメラには写らない記憶のなかだけにしまっておける大切な宝物を得た。ぼくはこれから先何度も、ぽっかり月と白と黒の巨大なシルエットに空を彩る無数の光を思いだし幻視するのだろうな、と思う。
そして皆が寝静まった今、プラスチックの無機質な冷たさの椅子に腰掛けガンドロック最後のブログにピリオドを打とうとしている。
振り返り様々なことを書くのはネパールを出る飛行機の中だと決めているのでもう少し先。
ただ、1つだけ。僕はガンドロックにこれて、皆と出会えて、調査に行けて、本当に幸せだった!!

それでは、また明日。

ネパール30日目

昨日は大きな疲れと無事終わった安心感からかベッドでブログを書く間もなく眠りに落ちてしまった。申し訳ない。

今朝は目が覚めたときから全身の筋肉痛に襲われた。本当によく歩いた。実は昨日アメリカのジョシュアという新しいメンバーが加わった。困った顔のトイプードルみたいで身長は僕よりも一回り大きいくらいの男性だ。今日は1日かけての調査で普段よりもハードな上に体も痛む。しかし調査に出られるのも後2回。カールとフレッドは休んだが、僕は行くことにした。猿がよく観測されるロッジが目的地だ。途中幾度となく家畜が道をふさいで立ち往生となったが、なんとかロッジに到着。途中にある草原ではオウムの1種だろうか、長い嘴に白と茶のストライプの羽、長い冠毛の、手のひらより少し大きいくらいのレアな鳥を観測できた。ちょこちょこと歩いては地面をつつき餌を探す姿がなんとも愛らしく、愛鳥家のぼくは文字通りメロメロで双眼鏡を構えていた。
ロッジでは期待通り3匹の猿が観測された。白い体毛に黒い顔。一般的な猿に比べて少し小柄で身軽だ。笹藪を元気に走り回っていた。
立ち寄ったロッジではいまや好物とも言える伝統食のダルバートを頂いた。ダル豆のスープに、タイ米、カレー味のじゃがいもに、葉野菜の一品がついたりつかなかったりというのがベーシックなスタイルだ。ダルバートは各家庭ごとにテイストがかなり違い、それもまた楽しみの1つなのだが、今回頂いたダルバートは今までで最も辛く、なかなか手こずった。また、隣でジョシュアが不満気な顔で、これ甘口すぎるよと文句を言っており戦慄した。
夕食の席ではマリオンがベジタリアンということを知った。身近にふれあうはじめてのベジタリアンというわけだ。なぜ肉や魚を食べないのか聞くと、もともとは食べていたが、狭いおりに閉じ込められたり、ひどい殺され方をして牛や鳥が僕らの食卓に並ぶことを知り、食べるのをやめたらしい。すごい意志の強さだと感じた。

明日が最後の調査だ。

それでは、また明日。

2016年9月20日火曜日

ネパール28日目

4週間が経過。残された時間は1週間。

朝5時半。ドアを強くノックする音で目が覚める。ガイドのアネムが景色が最高だと起こしにきてくれたのだ。さっそく外へ。まだ薄暗く足元が危うい。空を見上げる。ぽっかりと浮かぶ月、そして白と黒で彩られた巨大な塊が空の半分を覆っている。霊峰アンナプルナだ。フィルが「きっと価値観が変わるぜ」と言った意味が少しだけ分かるような気がする。それは神戸の100万ドルの夜景より遥かに美しく、荘厳だった。間違いなく今まで目にしてきたどんな風景よりも美しい。はたして見る前と見た後で価値観が変わったかどうかは分からない。しかし、ただ、きてよかったなと、そう思った。あの眺めはブログを書いている今でも僕の胸に深く、深く刻み込まれている。目を閉じれば、ぽっかり月と、巨大な白と黒のコントラストが浮かぶ。次第に日の出が近づき、アンナプルナは頭から少しずつ紅く染まっていく。寒さも忘れて、食い入るように見つめた。きっとこの美しさを写真で完全に伝えることはできないとおもう。

朝8時。朝食をとった僕らはABCに、アンナプルナに別れを告げ、歩き出した。ほとんどが下りで足へのダメージが蓄積されていくのを感じる。次第に足の裏が痛んでくるが、休憩はほとんど取らない。たくさんの韓国人トレッカーに韓国人だと何度も間違われ、すれ違い様に「アニョハセヨー」と親しげに声をかけられる。そのたびに少し申し訳なさそうに「こんにちは」と返すと皆少し残念そうな苦笑いを浮かべる。休憩所でゴミを拾っているときに韓国語でなにか質問されたがよくわからない。身振りからして「なんでゴミなんか拾ってんだ?」という感じだろうか。適当な英語で返事をしておいた。やはり標高が下がるにつれゴミも増える。終盤はもう体力的に厳しく、休憩時間は素直に休憩させてもらうことにした。実は行きにごみの多い休憩所の近くの木にごみ袋を巻き付けておいた。トレッカーたちが利用したあとがありたくさんのゴミが入っている。みんな捨てるところがないからポイ捨てをするのだなと思った。うまくいったことが少し嬉しくなり、ゴミの適切な処理とよりたくさんトレッキングルートにごみ袋を設置するよう、ACAPの事務所に立ち寄り依頼しておいた。
登ったり降りたりを計35キロ。本当にキツいトレッキングと実践活動だった。ホテルに着いた頃には足はもう僕のからだの一部じゃなくなったみたいに重くなっていた。温かいシャワー(めちゃくちゃ水圧が弱い)を浴びたあとは夕食だ。
夕食のときはテレビで洋楽のオリコンチャートのようなものが放送されており、僕はしらない曲ばかりだがかなり有名な曲がたくさんらしく皆盛り上がった。夕食のあとはリカードに英語のロックやヒップホップ、イタリア語のラップなど色々な曲を教えてもらった。

明日はガンドロックへ、僕らのホームとなるホステルへもどる。

それでは、また明日。

ネパール27日目

午前8時、ホテルを発つ。標高がかなり高くなってきたからだろうか、身体が思うように動かず、すぐに息がきれる。今日のトレッキングは短い上にいくらかなだらかな傾斜となっているが、昨日一昨日よりもキツい。しばらく登ると、空気の薄さにも身体が順応し、周辺の風景にも大きな変化が。一切の木々が姿を消し、膝下くらいの茂みとたくさんの花々による草原に大きな岩が行き場を失ったようにぽつんぽつんと点在し、小川が道の脇を流れる。なんだか絵の中のような風景で、美しさのあまり現実味がない。また道に捨てられたゴミもほとんどなくなり10分に1つくらいの頻度となった。休憩スペースの周辺のゴミもかなり少ない。途中立ち寄った休憩所で壮年の日本人3人組と出会った。約1ヶ月ぶりの日本語での会話だ。アジア周遊中の夫婦と、同じくアジア旅行中の女性で、ブータンで出会い、ネパールで再開し、一緒にABCトレッキングをすることになったらしい。トビタテのことやここに至るまでの経緯などを話し別れた。様々な出会いというのもトレッキングの醍醐味だ。
お昼過ぎにABCに到着。標高は4130m。高山病の心配はなさそうだが、とにかく寒い。気温は2度。しかし空気は今までの人生で最も澄んでおり、鼻は凍てついて悲鳴をあげるが、何度も深呼吸してしまう。シャワーもヒーターもないので、とにかく服を着込む。疲れたので、とりあえず皆お昼寝。雲がベースキャンプを覆ってしまい、一寸先は雲。今日は景色を楽しむのは無理そうだ。しばらくして、どうやらベースキャンプにたくさんの羊が浸入したらしい。羊の声で目が覚めた。夕食まではまだ時間があるので、フレッドに英語の発音のレッスンをつけてもらう。そのあとは四人でお互いの身の上話をたくさんした。フレッドはおじいちゃんがデンマーク王室のボディガードのトップだとか、カールは一人の女性に12年も片思いしているとか皆個性いっぱいだ。デンマークでは学校の卒業パーティーが3週間も続くらしい。教育システムも各国で大きく異なり、デンマークとスウェーデンは9年間のスクールの後、3年間のミドルスクールをえて、4年間の大学というシステムらしい。イタリアは小学校が5年、中学校が3年、高校が5年、大学が3年と日本人としてはかなり不思議に感じる教育システムだ。夕食のあとはリカードに呼ばれ、二人で大きな岩の上で話す。彼は日本が大好きで、日本のゲーム、マンガ、アニメ、伝統文化など僕よりも詳しいくらいだ。彼は日本で職について生活を営みたいと言った。そして外国人用の日本語教室は充実しているかどうか、外国人の就職状況などを真剣な面持ちで聞いてくる。彼の想いは本気みたいだ。僕も個人的にイタリアの文化、芸術、職人などに興味があり、お互いに質問攻めだ。数年後僕がベネチアへ。そしてリカードが京都を訪れるという約束、必ずまた会うことを誓った。
そして岩を降り、メインルームに戻る。メインルームでは、英語、スペイン語、韓国語、中国語、ネパール語など様々な言語が飛び交い、多国籍というより、もはや無国籍だ。見知らぬ髭もじゃのブロンドの大男とトランプで勝負したり、またメンバーで色々な話をしたり。気付けば19時を過ぎていた。明日は4時起きのため皆早々に床につく準備を始め、僕はブログを書き始めた。ふと外に出てみると月がでていた。ほとんど満月に近い。ネパールにきてはじめて月を見ることができた。月は日本にいるときと寸分違わぬ表情でぽつんと空から僕を見つめる。同じ月を見ているはずなのになぜこんなにも美しく感じるのだろうか。月を見つめるとなんだか胸をぎゅっと掴まれたみたいな自分でもよくわからない切なさに包まれる。

もうトビタテ生としてのネパールでの生活も終わりが近い。最高の仲間との時間を大切に、今を精一杯に生きよう。

それでは、また明日。

ネパール26日目

昨日のトレッキングがかなりハードだったのか、朝8時リュックを背負い歩き出すと腰の上部が痛んだ。どうやらリュックの下部の小さなでっぱりのようなものが長時間腰を圧迫していたようだ。なのでガイドのアネモに頼んで、彼のリュックと交換してもらった。彼のリュックは驚くほど軽く、リュックを交換してもらってからは、それまでとはうってかわり羽が生えたようにするすると山道を進むことができた。休憩時には引き続き清掃活動を続ける。いくらかのトレッカーに奇怪な目で見られるが特に気にした様子もなく、僕は黙々とゴミを拾い続ける。1日目のトレッキングルートと比べると人の姿も家畜の姿も、そしてゴミもずいぶんと少ない。穏やかな肌寒さも次第に鋭く、景色も厳しい大自然の表情を見せるようになる。
昨日よりもいくぶんか短い、六時間程度のトレッキングで今日の目的地に到着。標高が上がるにつれ、物価も上がり、ビスケットは30ルピーから50ルピーとなり、そして80ルピーとなり、僕らの宿泊するロッジではとうとう3桁の100ルピーとなった。
ここはどうやら有料だがあたたかいシャワーが使える。なのでさっそくシャワールームへ。しかし清潔とは言えず、持ってきたサンダルを履いたままシャワーを浴びた。ロバになるよりはましいうわけだ。温かいシャワーでポカポカとしているのもつかの間、すぐにフリースの隙間から寒さが忍び込んでくる。今頃あの人はどうしているだろうかと、ふと思う。寒さはなんとも言えぬ、もの悲しさというか、切なさのようなものをもたらす。
夕食までの時間は、フレッドに持ってきた単語帳を開いて、発音のレッスンをつけてもらったり、何度となく読み返した小説をまた読み返したり。「v」の発音はなんとかできるようになったが、「th」の発音は何度やってもうまくいかない。イングリッシュスピーカーへの道はまだまだ長い。フレッドもリカードもカールも母国語は英語でなく、第2言語として英語を習得している。なので、どうやって英語を身につけたのか尋ねてみた。リカードは9年間プライベートスクールに通い、フレッドはイギリスに3年間留学。カールはプライベートスクールに通いながら、アメリカのバラエティーをたくさん観たらしい。やはり一筋縄にはいかないなと感じた。皆苦労して身に付けているのだ。おすすめの勉強法は海外ドラマ・アニメをまずは母国語で観た後に英語音声英語字幕でもう一度それを見返すという手法、自然な表現が身に付くし、なにより楽しくないとやってられないだろと言われた。特に初心者におすすめはスポンジボブらしい。複雑な映画などは比喩などの難しい表現が多いから、まずは子供向けの平易なイングリッシュがいいんだとか。帰ったらぜひトライしてみよう。
今日も皆くたくたで、7時半に床に入った。近くの川と滝の轟音と水が岩を叩く揺れを感じる。僕の人生でこんなにはやくベッドに入ったのははじめてだ。
明日はとうとう目的地のABC(アンナプルナベースキャンプ)へ向かう。
フィルが「Change the mind 」と言った真意がいったいなんなのかはたして知ることができるだろうか。

それではまた明日。

ネパール25日目

お知らせ
昨日は朝昼晩と調査が3つあった上に4泊5日の実践活動兼トレッキングの荷造りで時間がなく、ブログが書けませんでした。申し訳ないです。

以下本編
今朝は8時にガンドロックを発った。最初の1時間は歩きながらゴミを拾ったが、腰を曲げて拾っては歩くというのはなかなかの重労働で全体の進行に支障が出始めたので、途中からスタイルを変更。最もゴミが多い休憩スペース(石でできたベンチが設置させているポイント)に重点を置き、皆が休憩をとっているときに休憩スペース付近のゴミを拾うというスタイルだ。集まったゴミは1時間に1軒程度に等間隔で建っているホテルのごみ箱に捨てさせてもらった。山を越え、谷を越え、橋を通り、ゴミを拾う。目的のホテルに到着したのは午後の5時。休憩と昼食で約1時間くらいを使ったのでだいたい8時間のトレッキングだ。今日1日で25キロの道のりを歩き、ビル350階分くらいの高さを登った。いつもの数倍重い荷物を背負って、数倍長い距離を歩きながら、ゴミを拾うというのはなかなかにキツかったがなんとかやりきった。
到着後シャワーを浴びようと思ったがシャワールームがあまりに汚く、全員シャワーを断念。水道で頭だけを洗った。
フィルが「帰ってくる頃にはロバみたいな臭いになるぜ」と言っていた意味が分かった。
夕食の時間には、ガイドのお兄さんと、カール、リカード、フレッドとお互いの国について色々と話した。
食べ物についての話が多かった。
イタリアは馬肉が安価なので、かなりポピュラーだったり、カンガルーの肉を食べたり、アルコール濃度80%のお酒に火をつけて飲んだりするらしいし、スウェーデンとデンマークはワニやヘビを食べるらしいし、食べ物についてのカルチャーショックがたくさんあった。
リカードはポカラやカトマンズでピザを食べたが、「あれはピザじゃない。ビスケットだ。」と本場の味とのギャップに不満を感じた話もしていた。
後はリカードが昔はブロンドのサラサラブロンドヘアーだったのに、いつの間にかくせ毛の黒髪になった話だとか、ネパールで忍者はっとりくんが大人気だという話だとか、とりとめのないこともたくさん話した。
それと水がかなり高いので、川の水を汲み、フレッドが持ってきた浄水タブレットを入れて飲めるようにした。だが、出来上がった水はプールの水と同じ味。プールの水の味は万国共通らしく、皆のジョークのネタになった。
今日はかなり疲れたので、もう床につくにする。

それでは、また明日。

2016年9月16日金曜日

ネパール22日目

今日は丸1日かけての調査だ。リトルパラダイスという往復6時間の村外れにぽつんと建つレストラン兼ホテルがゴールだ。行きは野鳥の調査、帰りは蝶の調査という献立だ。いつも調査をしている場所に比べ、かなりの個体数が観測された。ブッシュチャットの1種の青い鳥が観測された時に、「幸せの青い鳥」というワードを思い起こし、機嫌よく「青い鳥は幸運の象徴!」とメンバーに教えた。それからしばらくして、この辺ではかなり珍しいワシの1種が観測できた。やはり「幸せの青い鳥」というのは伊達じゃない。弧をえがいて悠々と翼を広げ大地を見下ろす姿は美しく不思議な魅力があり、しばらく馬鹿みたいに口を開けたまま空を仰いでいた。
リトルパラダイスに到着後、さっそく昼食のダルバートを頂いた。ダルバートは基本おかわり自由なので空腹の僕らにはとてもありがたい。
昼食の途中から雨が降ってきて帰り道は蝶も隠れてしまいほとんど観測できず、雨でぬかるんだ道に苦戦しながら黙々と歩を進めた。雨のトレッキングはきつく、好ましいものではないというのが一般的だが、僕は少しだけ雨のトレッキングも悪くないなと思う。聴こえる音が雨がレインコートを叩く音と僕らの足音のみだからだ。喧騒の国ネパールで静寂を味わいながら、ただただ歩く。そんな時間は僕を深い思考の奥底に誘ってくれるのだ。心地よい自己の多重化のようなものを感じながら様々なことがらに想いを馳せる。ふいに聴こえる小鳥のさえずりに空を見上げる。このようななんにもない時間というものが、日本での暮らしには足りていないなと思う。
4時頃にホステルに到着。さすがに疲れも大きく、机に向かう気は起こらなかったのでシャワーのあとは夕食まで仮眠をとった。
夕食のあとは僕の提案で腕相撲大会を開催することになった。総当たり形式で勝敗を競い、結果は右手部門で優勝となかなかの好戦績を残すことができた。皆大いに盛り上がってくれて楽しい時間を過ごすことができた。

実践活動兼アンナプルナトレッキングまであと3日。まだ引きずっている風邪をしっかりと治し万全の体制を整えたい。

それでは、また明日。