日本の蒸し暑さに避暑地インドネシアへ早速戻りたい、石原由貴です。
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フライト時間は7時間なので短いのですが、今回は夜~朝方にかけてでしたので、星空と日の出を見ることが出来ました。
今まで見たことがないほど美しく満天の星空でした。灯りもなく雲の上、達成感に満たされ美しく見えたのでしょう。
日の出は4:20過ぎ、台湾上空で見ました。こんなに美しい日の出はあるのか、と思うほど。楽しかったインドネシアの思い出を胸に次の目標に向かって頑張ろう、と決意します。
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長いフライトの時間、1カ月を振り返ります。
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1週目;Semarangでの大学生活が始まると思いきや...Wonosoboでの高山ホームステイが急遽始まります。
毎日の新たな課題に予定になかったホームステイで苦痛もありました。しかし、今まで見たこともないような”残されたままの大自然”を目の当たりにし、「環境に配慮するまち、自然と共に生きるまち」について考えさせられました。
またWonosoboのまちの問題点を考え、その問題点に関する改善案をサマーキャンプに参加する多国籍チームで議論しあうことで、様々な国の環境/都市問題に関する考えや意見を聞き、異国の地の環境/都市問題に直に触れることが出来ました。挑まなければ悔しくなれないことを知りました。新しい人と出逢い、新しい自分に出会いました。
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2週目/3週目;Diponegoro大学での講義開始。
当然授業内容はすべてインドネシア語なので、自力で電子辞書やスマホを使い、先生や友人に尋ね理解していきます。
基礎工学/コンクリート工学/起業家精神/建設材料/地震工学/総合力学を毎週受講することで都市システム工学に対する専門性を高めました。またインドネシアではどのように土木を学び、活用しているのか、インドネシアでのインフラ/災害/環境について理論的に学びました。
一方で放課後には積極的に友人たちを誘い、ほぼ毎日フィールドワークに出かけます。
Diponegoro大学が位置するSemarang市は、地下水の汲み上げに伴う地盤沈下で洪水が起こりやすく問題になっている一方、ジャワ島で初めて鉄道区間とされて着工されたまちでもあります。
昔ながらのまちを残す地域や、オランダ統治時代の歴史が残されている地域、旧日本軍との関わりの深い地域に、目覚ましい発展を遂げていく地域...今この瞬間で発展していくまちを自分の目で見ました。50年前の日本の姿の中に100年後のインドネシアの姿を見ました。
”インドネシアは発展途上国だから今も尚遅れている”と言われてきたこの国には、”今この瞬間、自分の視線の先で発展し成長し続けていくインドネシア”がそこにはありました。
きっとこの今のインドネシアを数年後のインドネシアには見ることはできないのでしょう、今まさに発展を遂げようとしている国、インドネシアの最先端で、温かな人たちに恵まれ、工学を学ぶことが出来たこの環境は本当に幸せなことであったと感じます。
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4週目;Yogyakartaのコミュニティラジオ局でインターンシップ開始。
このラジオ局はメラピ山麓に位置しており、メラピ山情報ネットワークというボランティア団体の組織に所属しています。2010年のメラピ山大噴火の際にはSNSを用いた支援ネットワークを構築し被災者支援を行いました。
私はこのインターンでは特に2010年のメラピ山大噴火についての調査を行いました。
ラジオ局で当時の話や被害状況、現在の取り組みについてインタビューを行い、自身の考えをディスカッションすることはもちろん、実際にメラピ山を訪れます。メラピ山資料館を訪れ資料や過去の災害の被害状況を学びます。その後実際に山を登り、火口17㎞/4kmで被害にあった地域のコミュニティラジオ局でインタビューを行うことで実践的に防災について学びました。また、火砕流に飲み込まれた地域一体の現地調査を行い、当時の被害状況や被害地域の現在の活用法を自分の足、自分の目、自分の耳で調査・分析を行いました。現地を訪れ被災者の声を聴き、SNSを使った情報インフラの視点から防災について考え、”災害時のSNSの在り方”について、”これからの日本の防災”について、自分なりの答えを見つけ出すことが出来ました。「正解」はなく、そこには「私」があることを学びました。挑戦する人にだけ、チャンスがあることを知りました。私にしかできないことがあるのではないかと気づかされました。
さらに、Yogyakartaのまちでもフィールドワークを行います。ジョグジャカルタはインドネシアの古都であり、今もなおその長い歴史が刻まれるまちです。
宗教の垣根を超え今も人々を見守り続ける古代の歴史とその歴史を残す現代技術、その中でまさに今発展するインドネシアのまちを、共存を、学びました。
日本は今よりもっともっとよくできるのではないかと気づかされます。
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8年前の2011年3月11日の”あの瞬間”が、8年かけて”今この瞬間”ここまで連れてきてくれたのだから、何でも諦めずひたむきに努力し前向きに挑戦し続けることの大切さを学びます。
日本でも勉強をし、被災地を訪れ、ボランティア活動、その他様々な活動に挑戦してきましたが、その世界がすべてだった私に、一歩日本を飛び出したその世界は、このトビタテ留学は、こんなにも大きく広い世界を見せてくれました。これからもっといろいろなことに挑戦しようとするその一歩はきっともっともっと大きな世界を見せてくれるのでしょう。
その学び、経験を経た今それを糧とし、私らしく、新しく、その世界を広げていくことが次のステップだと考えます。
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この1カ月、よく言われた言葉があります。
「 You are brave. (君は勇敢だ。) 」
行きの飛行機から始まって帰りの飛行機まで何度も何度も言われました。
そう言っていただけて嬉しいのですが、私は勇敢だったのでしょうか??
1人でやってのけたことなんて大して何もないのかもしれません。
応募を決意した時も、応募にあたって多方面にアポを取った時も、応募書類を仕上げるときも、面接準備も。合格後は、出発までの準備、手配。出国後も、現地での生活、手配、、、本当に数えきれない方々の支援・応援・協力によってこの留学を達成することが出来ました。
誰か一人でも欠けていたのならば、私はこの留学を達成し帰国することはできなかっただろうと思います。
この場をお借りして感謝の気持ちを伝えさせていただきたいです。
本当にありがとうございました。
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今私は一つの通過点を通過したに限りません。
留学は終わりましたが、ゴールがどこにあるのか、それがいつなのか、そもそもゴールなんてあるのかは誰にも分かりません。
「 I am brave.(私は勇敢だ。)」
”まりづくりの将来像はIndonesiaにあり!”。私らしくを大切に、なりたい私を目指して私はこれからも挑戦し続けます。貫け、私!
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最後に1カ月分の写真を載せますね。(過去のBlogと重複もあると思います)
1年後の18歳の誕生日をここで迎えるとはだれが予想できたでしょうか?
(wonosobo,ディエン高原)
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互いに競争し協力し高めあった仲間たちです。
(wonosobo、ディエン高原)
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日本文化紹介もしました。
(semarang)
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授業風景です。
(semarang、UNDIP)
色々なところへ友人と出かけました。
(semarang)
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ラジオ局でのインターンの様子。
(Yogyakarta)
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ジョグジャカルタでのフィールドワークです。
(Yogyakarta)
このコメントは投稿者によって削除されました。
返信削除"You are brave." 本当にその通りです。
返信削除確かに、周りのサポートはありましたが、石原さん自身が応募に一歩踏み切らなければ、叶わなかった今回のトビタテ留学です。
また、石原さんの一歩がなければ、現地の人々との交流も、大学での授業やインターンシップを成功させることも出来ませんでした。
皆が石原さんを応援したい!と思ったのは、石原さん自身の真剣な思いが皆に伝わったからです。
石原さんの写真は、笑顔が溢れていて、本当に素敵です。
今回の経験を胸に、今後も突き進んでください。