2019年9月9日月曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #22

学び遊び尽くしたスマランを離れ、新たな地ジョグジャカルタへと移動する日を迎えました、石原由貴です。
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昨日までに沢山の友人達がプレゼントとお別れの言葉をくれたので今日は何もないだろう、と寮でくつろいでいると、急に来ました。さすがです。最後のお別れの言葉を言いに来てくれたようです。本当に素敵な友人達に恵まれました。ありがとう、またね。
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お昼前、いよいよジョグジャカルタへ移動です。大好きなスマラン、また会いに来ます!
日本でチャーターさせて頂いたドライバーさん方に迎えに来て頂きました。
長距離移動、本当にありがとうございました。
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インドネシアは行政的に、特別州を含め34の州、県・市、郡・区・村、の 3 段 階に分かれています。特別州として、ジョグジャカルタ特別州だけでなくジャカルタ特別州などでも定められています。
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ジョグジャカルタは、古くからヒンドゥー・ジャワ文化の中心地として栄え、マタラム・イスラム王国が18世紀に分裂した後、ジョグジャカルタ王国の王都となり,独立戦争時代にはインドネシア共和国の首都にもなりました。
先代のハメンクブウォノ9世は、その際の協力と功績が評価されて、ジョグジャカルタ特別州の知事として代を務めることを認められ、現在も、この州の知事にはスルタン家の方が就任しています。 
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また王家が残っているこの地域では、王家の下で働きたいという若者がとても多いよう。
収入を多く得られる...等の理由ではなくボランティアで、王家に関わりたい、携わりたい、という思いから志願者が絶えないのだとか。
地元でもこの街に生きることを誇りに思っている人がとても多いと聞き、非常に尊敬され愛されている事が良く分かります。
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古都ジョグジャカルタは古くから歴史があるようですが、ジョグジャカルタ特別州はまだ歴史が浅いよう。ジョグジャカルタとジョグジャカルタ特別州の違いをきちんと理解出来ていないレベルでしたので、ドライバーさん方のお話はとても興味深く勉強になります。
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明日からのインターン&フィールドワークもしっかり学んでいきたいと思います。
ホテルまでの道中いくつかの街を通過していきましたが、高速道路の出口となっている街は道路舗装が綺麗にされ、沢山の車が通り、経済効果が生まれる為、人が集まり、店ができ、ここ数年で少しずつ変わりつつあるそうです。
そもそも車が多く走るようになったもの最近のこと。バイク社会だったインドネシアから車社会へと変わりつつあり少しずつ街の雰囲気も変わっていっているようです。(しかし車が増えると問題も新しく発生し、交通手段としてバイクに戻る方もいらっしゃるよう)
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“先進国である日本が遅れている途上国インドネシアから何を学ぶのか”
この留学を実現させると決意してから、何度も何度も大人の方から言われた言葉です。
“「遅れている」という1つの観点からしか見る事ができないのならば日本はこれから変われない”
“世界初の超高齢化社会を迎え、30年以内に過去最強クラスの災害が発生する”と言われている日本、その考え方に今もとらわれていること自体が遅れている。
と、大人の方からすれば社会を経験していない高校生が何とも偉そうだ、と感じるであろうことを言って日本を飛び出してきました。
でも、その先には、今この瞬間も視線の先で変わり続けていく街がありました。
きっと数年先には、更なる発展を遂げていくのでしょう。“出来上がった瞬間”の中に“今”を見ることはできなくなるのでしょう。
そんな“今まさに発展を遂げようとしているインドネシア”で学ぶことができていることは本当に貴重なことであると感じます。

支援応援協力して下さった全ての方に感謝の気持ちを忘れず、最後までやり切りたいと思います。



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