スラマッパギ、ナマサヤ ユキ
(おはようございます、石原由貴です)
見ての通り明日でインドネシア生活20日目を迎えますが元気に過ごしています。
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今日の受講科目はEarthquake Resistant Structures (地震工学)です。内容は耐震構造計画の基本基準について。
地震多発地域の建築構造物の計画、地震の構造解析建物の構造に対する地震荷重の影響を判断する方法、建物構造の構成剛性、ねじれモーメントの影響...等を詳しく習います。
建物構造中心と重心の間に偏心がある建物の構造では、構造の崩壊は過度のねじれ変形によって引き起こされる可能性があることや、剛性の中心と質量の中心との間に偏心がある非対称の建築計画を持つ構造では、構造の崩壊は過度の変形によって引き起こされる可能性があることを学びました。難しいですがとても興味深い講義でした。好きな分野です...!
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((余談ですが先生が対称的な構造物の例にラワンセウとボルブドゥール遺跡を挙げられたのですが、その写真、明らかに若かりし頃の先生と奥さんがメインで写っていまして...(笑)後ろの構造より先生の自慢の奥さんに目が行くよ!という話です。(みんな大爆笑です、冗談ですよ、9.5割真面目なお話です)
ラワンセウを上空から見ると綺麗な対称性でした。またボルブドゥール遺跡に関しては側面で半分に切ると本当に綺麗に対象です。ぜひ来週ジョグジャカルタで自分の足で訪れてみたいです。
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また講義終了後はディスカッションの成果、プレゼンをする時間です。
制作した動画を流しながら説明をしていきます。2日前のBlogにもupしましたが、私は津波担当です。(班によってテーマが違うのですが、私の班は地震と津波でした)
TSUNAMIの名前の由来、なぜ日本の言葉が国際言語となったのか、東日本大震災では高さ40m近くまでになったこと、その速さは平均でジェット機並みであること、また海では深い場所ほど速度が速くなることを説明しました。
上手く出来たはず...と信じたいところです。
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夜ご飯はお世話になった先生方に声をかけてお別れ会なるものを開いていただきました。(自分で呼びかけといて...笑)
そのお話を載せたいのですが今日は下の文を載せたいので、明日か明後日分に足しますね、下がものすごい文量なので)
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プレゼンとは関係ないのですが、是非この機会に、“3.11 あの日”の事を書きたいと思います。
ここまで読んでくださった皆さん、長いですが是非お付き合い下さいね。私がこの留学を実現させたいと思ったきっかけはあの日の出来事だったので。
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今回は地震ではなく、津波の方に着目したいと思います。せっかくプレゼンもしましたしね。
東日本大震災は日本観測史上最大級の津波が襲ったことで記憶にも新しいと思います。
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ーなぜあれだけの犠牲者がでたのか?
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⑴経験として根付いていなかった可能性
東北地方で観測された近年の津波は1960年チリ地震による津波のみでした。市民の中に経験としての記憶がない為言い伝え等があまり効果的ではなかったのではないでしょうか。
(2)ハザードマップの有効性
各県地域によって様々なハザードマップが用意されています。確認されたことはありますか?
最近起こった豪雨災害、土砂災害、津波、洪水ではかなりの確率でハザードマップと被害地域が一致していた例が上がっています。
東日本でも最悪のケースの場合ではかなりの的中率だったようです。ただし、複数県では小さな津波のみの想定で仮に確認していても有効ではなかったとも言われています。
その場合ハザードマップに従った避難行動は有効ではない可能性があります。
(3)気象庁による大津波警報
あの日も例外なく大津波警報が発令されていました。
私もテレビでその様子を見た事を昨日のことのように覚えています。最初は2、3mだったにもかかわらず、津波が街を飲み込む頃に出されたものは15m近く。当時小学生ながらも情報が違う、変わっている事に恐怖を覚えました。
当然被災者は混乱状況。正確な情報を瞬時に得られない中での警報は誤解を生み避難を遅らせたと言われています。巨大津波は当初の予報をはるかに上回り防潮堤を超え最高遡上高は38.9mを記録しました。
災害発生時の情報の迅速かつ確実な入手方法の確立が必要であると考えます。
(4)避難行動が適切に行われていなかったのではないか
みなさんは、避難経路、避難場所、避難訓練参加...等積極的に行ってきたでしょうか?
全員とは言いませんが、時間に追われる日本の方は日頃から意識が低く、災害時の避難率がかなり低いです。(豪雨被害等含め)また実際の避難時にはかなりの時間を要していたことも分かっています。
①避難の必要性を感じない;過去災害経験がなく自分は大丈夫という過信。(正直1番多いと考えています)過去にも警報が出たが一度も被害がなかった、大津波警報の誤報により想定しなかった、というものが東日本では挙げられています。
②避難に時間を要する;避難に身体1つで行く人はかなり少ないはずです。東日本では女性は携帯/預金通帳/貴重品を持つ方が多く、男性は所持品なしという方が多く見られたそうです。また発生時3時前だったこともあり、家族がバラバラで安否確認や職場からの一時帰宅、職場での指示待ちにより津波に巻き込まれた方も多かったようです。(職場での指示待ちは従業員は従わざるをおえず、会社として新しい取り組みも必要になってくるのではないかと思います)
また避難開始後も危機感の低さからか、ゆっくりと歩く、渋滞に巻き込まれる、海を見に行く(東北地方は漁業が盛ん、船を沖に出す方も多かったよう)等も挙げられます。
③避難が不可能;西日本豪雨災害でも大きく問題となった点です。災害時要援護者、またその家族(置いて逃げられない)が巻き込まれるケースです。これから超高齢化社会を迎える日本が、過去の災害にない新しい取り組みとして行わなければならない課題であると思います。(現在様々な取り組みを行なっている地域もあり)
④津波危険区域への避難;避難所は絶対安全、その考えにより避難した場所が津波に巻き込まれたケースです。想定を超えるものであったため巻き込まれた避難所は多かったよう。また避難指示が追加されて避難所から避難所への移動中に巻き込まれた事も考えられます。
(5)危機感の低さ
津波が必ず来ると思った人は1/3ほど。来るかもしれないと思った人は2割。つまり5割近くの人が想定をしていなかったのです。東日本では2つの断層が連続して破壊したため揺れの時間が長く、揺れの波が大きく分けて2つ〜3つ来ていました。経験にない揺れに恐怖や唖然とし考えが及ばなかったのかもしれません。(そうそう経験することではないため大きな災害には誰もが動揺する)
また災害発生時、警報を聞くことができなかった方も多かったです。当然電気は停まっています。当たり前のようにテレビから情報を得られないのです。防災無線からの情報が頼り、それがどこまで生きていたのかが最大の課題です。(西日本豪雨でも同様、高齢者や隔離地域での防災無線の活用は有効ではなかった)
(6)避難開始のきっかけがない
常日頃から災害を意識している、防災授業を行なっている、避難訓練を街が行なっている、語り継がれる話の伝承...などが行われていなかった場合、知識としてない為当然行動を伴わないです。
東日本大震災の場合、過去の伝承、日頃の防災知識、などによりその効果を得られたケースがありました。
逆にその経験がないためきっかけがなく避難が遅れた/しなかったケースも挙げられています。
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日頃からの準備や知識として持っておくことがどれだけ大切か伝わったでしょうか?
私はこの分野について講義を受けたことはなく調べたり聞いたり現地を訪れ学んだこと感じたことでその必要性を伝えようとしています。
災害発生時、空振りでも構わないのです、周りに避難の必要性を、何より命が第一優先である事を伝え避難を促してください。
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ー津波があれほどの威力を持っていたのはなぜなのか?
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あの日の映像を見たことがあるでしょうか?海の水は手ですくうとほとんど透明ですよね、ですがあの日の映像には真っ黒な波が映されていました。
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(1)黒い津波の正体
それは海底のヘドロであったことが最近の研究で分かりました。その小さな粒子は平均7マイクロミリメートル、小さなもので4マイクロミリメートルでした。(1ミリの1000分の1の単位です)
黒い津波の先端威力は通常の水によるものの2倍以上の力を持っています。黒い津波にはヘドロが含まれる為その粒子による摩擦で波が立ち上がるような形になる為だと考えられています。
また黒い津波は水よりも浮力があったと考えられています。(物を浮かせる力です)
東日本では流された家屋の瓦礫を含めた波が次の家屋を押していくことでその威力は格段に上がったと言われています。
(2)ヘドロはどこにあるのか?
気仙沼湾での調査では災害発生前約6mだった海底は水深13mにまで深くなっていました。それが一帯だったとするとどれだけの海底が削り取られ街を襲ったのか想像できると思います。
また黒い津波は津波到達から30秒で人の膝まで来ていたという報告があります。津波の30cm、大したことないと思っていませんか?大の大人であっても威力のある津波に足首が浸かれば立っている事も困難です。
その状況下での10秒20秒は大きな差を生みます。あの日も避難が遅れた被災者を襲ったと考えられています。
(3)犠牲者の増加
東日本大震災では亡くなられた人の数があまりにも多かった為解剖を詳しく行われませんでした。しかし亡くなられた方の多くは鼻や口には土砂が付着していたそうです。通常の水より視界が悪く、重く、そして小さな粒子を含むその波はより多くの犠牲者を生んだと考えられています。
また波が引いた後も土砂は残ります。土砂が乾燥し粉塵となり、被災後現地で生活、ボランティアされる方の体へと入っていきます。4マイクロミリメートルは肺の奥、肺胞の奥にまで達します。また油や重金属を含む場合も。
黒い津波は津波が引いた後も被害を出し続けるのです。
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これは東北地方だけなのか。入り組んだ湾や港がある場所ではどこでも起きえます。つまり全国どこでも起きる可能性があるのです。
「自分の住む地域には絶対に津波は来ない。ましてや黒い津波など。」
どこからの根拠なのでしょうか、誰が証明したのでしょうか?
災害に必ずはあり得ません、いつか必ず繰り返すものです。もし津波がやってきて、大切な町を、家を、家族を奪っていった時、誰が元どおりにしてくれるのでしょうか?
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ー災害は忘れた頃にやってくるー
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あの日、世界が経験した大災害を、忘れないでください。
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