今日は朝8時から授業です。明石高専より早いですね。
寝坊しまいと気合を入れて6時にアラームセットしましたが、4時半の大音量コーランで起きました、石原由貴です。
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今日は昨日より10分遅めに家を出たものの昨日よりさらに始業時間に人は来ません。当然バディもです。先生もです。慣れました。
今日の授業はEntrepreneurship(起業家精神)です。
え......?起業家......??とお思いの皆さん。
凄く良い話が聞けましたので、載せておきます。
中々インドネシア流起業家精神の話を聞けることはないですよ。(笑)
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成功する人のパターン
1.成功は習慣
2.成功する人はソリューション思考
3.失敗は成功の一部
4.成功は常に運命によって決まるわけではない
5.成功する人にはビジョンと焦点がある
6.成功する人はあえてリスクをとる
7.成功した人は決して他人を責めることはない
8.成功する人は常に学ぶ
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これの7番目を先生が説明されている時、Japaneseを連呼しながら私を指差して何か話しておられます。(インドネシア語なので分かりません。)
バディになんて言ってた?と聞くと、「日本人は勤勉だ、今日だって異国から1人で来て1番前の席で1番真面目に授業を彼女は聞いている、だから成功者に日本人は多いのだ」というような内容だったそう。
実は...今日バディが少し眠たそうであまりインドネシア語→英語翻訳がありませんでした。起こすのも悪いなぁ、と思い電子辞書とスマホを使って自力で翻訳しノートを取っていきます。今日は計算問題等ではなかったので、バディに頼らず自分でやってみよう、と。
要は先生の話すインドネシア語が分からないのでスライドを英訳していたわけです。周りから見ればひたすら先生に話しをメモしている留学生に見えたのでしょう(笑)
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その成果、写真の通り成功する人のパターン以外のノートもきちんと取れたので、お時間があれば是非。あ、英語→日本語訳はないです。
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早く教室に着いた特典がありました。スマランは日本人が少ない街のようで、日本人を珍しがられます。写真撮って!と凄く声をかけられるのでお友達ができます。
同じ寮の友達と同じ専門学科の友達2人と急遽ラワン・セウへ行くことになりました。30-40minかかります。
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ラワン・セウご存知でしょうか??日本人で知っている方はかなり少ないと思います。私も知りませんでした。
ただ、ここは観光地としてではなく学ぶべき地として日本人の皆さんに知っていただきたい場所です。
特にあの戦争時代を生きていない私たちに。
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そもそもラワン・セウとはインドネシア語で“千の扉”という意味。オランダ東インド会社がオランダがインドネシアを統治していた時代に建てられた建造物です。
この名前は社会で習いますね。
外から見た様子が千の扉があるように見えたことから呼ばれたそうです。(実際は窓です)
オランダが建てましたがオランダ人だけが使っていたわけではありません。当時は鉄道の駅として利用されていました。インドネシア初の鉄道が走った街がスマランであることはご存知でしょうか?実はそうなんですよ。
なので鉄道関連の展示も多くしています。
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ずっと駅として使われていたのでしょうか?
少し社会で触れるかどうかですが、日本もかつてインドネシアを占領していた時代がありました。1942-45年終戦の時期の3年間です。日本はオランダからラワン・セウを取り上げ、その後日本軍は通気孔や下水道として使用されていた地下の通路を牢屋として利用しました。そこへはオランダ人やインドネシア人が連れてこられて拷問も行われたそうです。
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戦争が終わってからも日本軍との関わりは続きます。戦後すぐに独立宣言をしたインドネシアは、連合国軍と戦うことになります。インドネシア人は残留日本軍に武器を渡すように求め、抵抗した日本軍と大規模な戦闘になります。
このとき亡くなられた多くのインドネシア兵の遺骨が建物目の前の道路の真ん中にある塔に今も収められています。
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建物内には美しいステンドグラスがあります。当時のまま残されているそうです。
このような長い時代を見守って来たステンドグラスを見上げた時の気持ちは言い表せないものがあります。
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一緒に連れて来てくれた彼、祖父母がラワン・セウに眠っているそうです。沢山の説明をしてくれた後に聞いたので誘ってしまって悪かった、と伝えると、「良いんだよ、知ってもらいたい」と。
私も彼から聞くまではこの歴史を詳しくは知りませんでした。オランダ建築で美しいステンドグラスがある、というくらいしか。
これだけの過去があってもインドネシアは世界最大の親日国であると言われています。インドネシアではこの歴史は必ず習うのだとか。日本人として何も知らず足を踏み入れたことを恥ずかしく思います。
なぜ日本ではこの事実をきちんと伝えないのか。
戦争は誰が悪いというものではありませんが、決して日本だけが被害者だったわけではないのです。沢山の犠牲の上に今日の平和があることをインドネシアの地で学びます。
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日本人の皆さんが何も知らずこの建物を訪れたとしてもこの建物の雰囲気に気づかされることがあると思います。
当時の写真は特に展示されてはいません。しかし、長い歴史を見守って来たこの建物が何かを伝えようとしていることは必ず伝わってきます。
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戦争を知らない人が増え、そんな人たちによって営まれている賑やかな街の真ん中にそっと建っているこの建物。
インドネシアと日本もが良い関係を維持し、発展させていくためにはお互いの歩んできた歴史を学ぶことが重要だと気づかせてくれました。
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