2019年8月31日土曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #13

朝からインドネシアタイム。
「今日授業あるか分からないって〜」と友人から連絡が。
授業開始25分前。私の寮からなら20分前にタクシーを呼ばないといけません。あと5分で結論を出して欲しいですがそんなことはインドネシアでできません。そんな朝でした、石原由貴です。
.
結論ありました。かなり遅れて。始まりも終わりも時間通りに行ったことはない緩さです。(笑)
.
行きのタクシーのおじさん、一生懸命話してくれますが、インドネシア語なので何を言っているのか分からない...という毎日です。1人でタクシーに乗ると十中八九声をかけられます。
今日は翻訳機を出してまで会話しようとしてくれるドライバーさんでした。(心の中では前見て運転して!と思いましたが、まぁいいです)
降りる時にお金を渡すと「お金いらないよ、大丈夫、勉強頑張って」と翻訳機に表示されていました。
どこまでも人に温かい国です。
こっちに来てお願いをたくさんの場面でしましたが断られたことは一度もないです。温かい。
.
今日はBuilding Material(建設材料)の授業でした。
インドネシアは木が多く取れます。木材についての授業でした。
耐久性や繊維、吸収性、方向性などについて学びます。
今日はスライドではなく黒板を使ったので、綴りが読めません。翻訳以前の問題発生です。先生の素晴らしい達筆なインドネシア語をなんとか板書します。(笑)
木材についての学習を詳しくしたことはまだなかったので凄く興味深い授業でした。
インドネシアには季節が2つしかありません。雨季と乾季です。木材にとって水分は大きく性質を変える要因となります。
日本でも木造家屋は昼と夜の気温差で木が引き締まり音がなることがありますよね?
その要因を詳しくお話しして頂く授業でした。年中気温が高く、湿度だけが大きく変化するインドネシアでの木材の扱いは難しいのだと学びました。
日本も同様森林が多くあり木材が豊富です。環境保護を行いながら上手く木材を利用できる都市も素敵だと感じます。木材はコンクリートや鋼と比べ人に温かみ、安らぎを与えることのできる材料です。素敵です。
.
お昼はCanteenへ。
SotoAyamがインドネシア料理で1番美味しい気がします。
スープがいいんです!これ!
.
.
午後は同じクラスの友達4人と映画館へ。
「Yukiが楽しめる映画見つけたよ!」とのこと。
ちなみに朝6:30の連絡でした。
朝早い。(笑)だって朝のお祈りがありますもんね。
Weathering with you でした...!!!最高ですね。連れてきてくれた友達に感謝です。
周りのインドネシア人終始笑って最後は泣いていました。新海監督のストーリーと日本の映像の繊細さに驚かされます。アニメーションは日本が誇る文化ですね。
今日も日本は世界を驚かせ続けています。

日本は最高だね、いつか行きたい!と笑顔で話してくれる素敵な友人たちです。


2019年8月30日金曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #12

昨晩の賑やかさから一転、日常に戻ってきました、石原由貴です。
今日の授業は「地震工学」でした。
インドネシアでの防災や、地震発生前/発生時/発生後の比較、また地震による津波が起きるメカニズム、津波の予測技術、津波により考えられる被害等についての授業でした。
丸くドーム形のような形をしたシェルターがありどの方向からも同じように力がかかる為、地震に強い構造物があることも教えていただきました。
2階建てではなく小さなドームなので、生活自体は少ししづらいのかもしれませんが、そのようなシェルターがある事を知らなかったので勉強になります。
日本にも似たようなものはあるのでしょうか...また調べてみます。
.
20の法則もなるほど...と思いました。
地震の揺れは20秒続くと思え
避難は20分以内で
津波は20mをこえてくる
いいですね、こういう合言葉のようなものがあれば子供からお年寄りまで理解しやすいです。
.
津波は世界共通言語になっていますね。当然インドネシアでも。
“TUNAMI”、どれだけの大きな被害を被災地へ、被災国へ、人々へ、またその影響を世界へ及ぼしているのかを感じます。
.
「日本もインドネシアと同じように地震が多い国だね、特に津波の被害は大きい」と先生も話されていました。
あの日のあの災害が世界でも記憶に残るものとなっているのであれば、きっと次の大災害にも1人1人の中で何か活かされる物があるのではないかと思います。
.
次の授業ではグループに分かれてプレゼンテーションをすることになりました。題材や方法についてはいまいち理解ができていないのですが、しっかり準備をしたいと思います。
ディスカッションの時には、“日本から来た留学生”として日本の災害を異国の人に伝えることのできるチャンスだと思うので、頑張ります。
.
.
午前の授業終了後は午後も授業があるはずだったので、一旦部屋へ帰り、違う授業の課題をしました。日本語訳をしたところで専門用語が複雑で何のことだか...という感じです。(笑)
次の授業まで待っていると、「次の授業月曜日に振り替えだって!」と連絡が。いつも急。それがインドネシアタイム。
.
ということでバスに乗ってまだ行っていなかったショッピングモールへ。今まで行ったところと比べると小さめです。
Semarangは何もないことはないのですが、超有名な観光地というわけではない為、流石にそろそろ行くところがなくなってきました。
文句ではないですよ、現地情報です。
.
インドネシアで何度かファストフード店に行きましたが、日本との違いを感じる点が。
食事を終えるとそのまま席を離れます。日本では返却口があってそこまで自分で持って行く、というタイプのファストフード店が多いような気がしますが、こちらでは一度も見たことがありません。
「片付けなくていいの?自分の分だよ?」と聞くと、「店員さんの仕事。それをしたら彼らの仕事がなくなってしまうでしょ?」と。
考え方や文化の違いですかね、私には少し理解し難い点でした。
.
帰りはまたもあのバスに乗って帰ります。
当然時刻表などなく、(あったとしても時間守るかは微妙ですね)来たものに乗ります。
当然荒い運転です。もはや軽くジェットコースターではないかと。

そんなバスに揺られて今日もインドネシアを学びます。



2019年8月29日木曜日

みやたのアメリカ留学 #5お化け屋敷

こんにちは2Aの宮田です。

今日は昼からホストファザーに何も言われないまま「Let's go!」と言われバーベキューに連れて行ってもらいました。話を聞くと、ピッツバーグの映画関係のことを学んでいる学生と先生たちがバーベキューをしていてそれに誘われたらしいです。ここでもハンバーガーを食べさせてもらいました。美味しかったです。


その後、車で10分くらいのところに怪しい建物がありました。(遠くから見ればただの豪邸ですが。。。)
その怪しい建物は”Castle Blood”というお化け屋敷でした。ここはハロウィンの時期になると大変繁盛するそうです。今回は特別にそのお化け屋敷がどうなっているのかを見せてもらうことができました。

僕が見させてもらったときは、こんな感じで電気がついていて明るかったのですが、これが暗かったら本当に怖いだろうなと思いました。

日本にはふつうの家を使ったお化け屋敷がないため、街中にあるのがとても新鮮でした。オーナーさんともお話したのですが、もともとは空き家で、それをたった1ドル(約100円)で購入して6年かけてお化け屋敷を完成させたそうです。家が100円で買えるなんて、、、、それに驚きました。この地域は空き家が多いと前回のブログに書きましたが、その値段が日本ではありえないくらい安いです。だからその空き家を購入してこのお化け屋敷のように再利用、有効活用できたら素晴らしいと思いました。

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #11

今日の授業は8:20からだと聞いていたのになぜか7:30から授業が始まっていて行った頃には8割終わっていました、石原由貴です。
(多分先生が早めに始める気分だったか、伝達ミスか、です)
.
今日は中々ありえない凄い出会いがありました。
なんと...
「ディポネゴロ大学に日本人が2人来ている、Yukiの事知ってるって言ってる」と友達から連絡があったのです。
お昼ご飯をcanteenで急いでかきこんで向かいます。
そこにいたのはトビタテ壮行会で一度会った3期生の先輩と先輩のお友達でした...!!
.
まさか会えるとは!!日本語学科へ少しお邪魔した後は、一緒にdowntownへ。
rainbow village と ラワン・セウ(昨日も行ったけどそこはいい)へ。
rainbow village(カンポンペランギ村)はかつてスラムのイメージが強く、人があまり寄り付かない地域でした。
それを払しょくするため、とてもユニークな村おこしプロジェクトが立ち上げられました。村中の家を、カラフルなレインボーカラーにペイントしたのです。
とても可愛いですね、観光客も沢山くるようです。
治安も良くなり経済力も上がり、村に活気が生ます。
.
その後は先輩たちが行きの飛行機で知り合った、もと議員さん(?)のような凄い方の家へ。アングーン先生も知っている方なのだとか。
向かうとそこには大豪邸。とても温かく迎えていただきました。(私は急について行っているのに)
インドネシア伝統料理を振舞ってくださりました。家庭の味...でしょうか、優しい味でした。
その後少しお話をする時間があり、私がきちんと英語を聞き取れていればですが、とても素晴らしい話をしてくださいました。きっと一生出会うことのない方に貴重なお話を聞ける有難い体験でした。
.
その後は夜のスマランの街へ。
若者で賑わっていました。昔ながら(?)の通りは、神戸のような雰囲気があり素敵でした。誰とでも打ち解けやすいインドネシアなのできっと朝まで盛り上がるんでしょう。(笑)
.
.
今日はまさかの出会いがたくさんある1日でした。
インドネシアへ来てたまたま1日だけキャンパスに寄っていたトビタテの先輩方に会い、その先輩方がたまたま会った凄い方とお食事させてもらい、その先輩方のインドネシアのお友達のお友達まで一緒にdowntownする事になったり...
ずっと日本にいると絶対になかった巡り合わせだと感じます。
今日もこの素敵なインドネシアの国で素敵な人たちに出会う事が出来たことはとても幸せです。
.
帰国後先輩方とお食事に行く事に。

こんなに成長しましたよ!と胸を張って言えるように残りの留学生活も頑張ります。


(お食事会の写真は頂いたらまた追加します!)



2019年8月27日火曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #10 ーblog後半日本の方に読んでもらいたい物を載せています

今日は朝8時から授業です。明石高専より早いですね。
寝坊しまいと気合を入れて6時にアラームセットしましたが、4時半の大音量コーランで起きました、石原由貴です。
.
今日は昨日より10分遅めに家を出たものの昨日よりさらに始業時間に人は来ません。当然バディもです。先生もです。慣れました。
今日の授業はEntrepreneurship(起業家精神)です。
え......?起業家......??とお思いの皆さん。
凄く良い話が聞けましたので、載せておきます。
中々インドネシア流起業家精神の話を聞けることはないですよ。(笑)
.
成功する人のパターン
1.成功は習慣
2.成功する人はソリューション思考
3.失敗は成功の一部
4.成功は常に運命によって決まるわけではない
5.成功する人にはビジョンと焦点がある
6.成功する人はあえてリスクをとる
7.成功した人は決して他人を責めることはない
8.成功する人は常に学ぶ
.
これの7番目を先生が説明されている時、Japaneseを連呼しながら私を指差して何か話しておられます。(インドネシア語なので分かりません。)
バディになんて言ってた?と聞くと、「日本人は勤勉だ、今日だって異国から1人で来て1番前の席で1番真面目に授業を彼女は聞いている、だから成功者に日本人は多いのだ」というような内容だったそう。
実は...今日バディが少し眠たそうであまりインドネシア語→英語翻訳がありませんでした。起こすのも悪いなぁ、と思い電子辞書とスマホを使って自力で翻訳しノートを取っていきます。今日は計算問題等ではなかったので、バディに頼らず自分でやってみよう、と。
要は先生の話すインドネシア語が分からないのでスライドを英訳していたわけです。周りから見ればひたすら先生に話しをメモしている留学生に見えたのでしょう(笑)
.
その成果、写真の通り成功する人のパターン以外のノートもきちんと取れたので、お時間があれば是非。あ、英語→日本語訳はないです。
.
.
早く教室に着いた特典がありました。スマランは日本人が少ない街のようで、日本人を珍しがられます。写真撮って!と凄く声をかけられるのでお友達ができます。
同じ寮の友達と同じ専門学科の友達2人と急遽ラワン・セウへ行くことになりました。30-40minかかります。
.
ラワン・セウご存知でしょうか??日本人で知っている方はかなり少ないと思います。私も知りませんでした。
ただ、ここは観光地としてではなく学ぶべき地として日本人の皆さんに知っていただきたい場所です。
特にあの戦争時代を生きていない私たちに。
.
そもそもラワン・セウとはインドネシア語で“千の扉”という意味。オランダ東インド会社がオランダがインドネシアを統治していた時代に建てられた建造物です。
この名前は社会で習いますね。
外から見た様子が千の扉があるように見えたことから呼ばれたそうです。(実際は窓です)
オランダが建てましたがオランダ人だけが使っていたわけではありません。当時は鉄道の駅として利用されていました。インドネシア初の鉄道が走った街がスマランであることはご存知でしょうか?実はそうなんですよ。
なので鉄道関連の展示も多くしています。
.
ずっと駅として使われていたのでしょうか?
少し社会で触れるかどうかですが、日本もかつてインドネシアを占領していた時代がありました。1942-45年終戦の時期の3年間です。日本はオランダからラワン・セウを取り上げ、その後日本軍は通気孔や下水道として使用されていた地下の通路を牢屋として利用しました。そこへはオランダ人やインドネシア人が連れてこられて拷問も行われたそうです。
.
戦争が終わってからも日本軍との関わりは続きます。戦後すぐに独立宣言をしたインドネシアは、連合国軍と戦うことになります。インドネシア人は残留日本軍に武器を渡すように求め、抵抗した日本軍と大規模な戦闘になります。
このとき亡くなられた多くのインドネシア兵の遺骨が建物目の前の道路の真ん中にある塔に今も収められています。
.
建物内には美しいステンドグラスがあります。当時のまま残されているそうです。
このような長い時代を見守って来たステンドグラスを見上げた時の気持ちは言い表せないものがあります。
.
一緒に連れて来てくれた彼、祖父母がラワン・セウに眠っているそうです。沢山の説明をしてくれた後に聞いたので誘ってしまって悪かった、と伝えると、「良いんだよ、知ってもらいたい」と。
私も彼から聞くまではこの歴史を詳しくは知りませんでした。オランダ建築で美しいステンドグラスがある、というくらいしか。
これだけの過去があってもインドネシアは世界最大の親日国であると言われています。インドネシアではこの歴史は必ず習うのだとか。日本人として何も知らず足を踏み入れたことを恥ずかしく思います。
なぜ日本ではこの事実をきちんと伝えないのか。
戦争は誰が悪いというものではありませんが、決して日本だけが被害者だったわけではないのです。沢山の犠牲の上に今日の平和があることをインドネシアの地で学びます。
.
日本人の皆さんが何も知らずこの建物を訪れたとしてもこの建物の雰囲気に気づかされることがあると思います。
当時の写真は特に展示されてはいません。しかし、長い歴史を見守って来たこの建物が何かを伝えようとしていることは必ず伝わってきます。
.
戦争を知らない人が増え、そんな人たちによって営まれている賑やかな街の真ん中にそっと建っているこの建物。

インドネシアと日本もが良い関係を維持し、発展させていくためにはお互いの歩んできた歴史を学ぶことが重要だと気づかせてくれました。








みやたのアメリカ留学 #4 1週間のできごとを一挙公開!

こんにちは2Aの宮田です。
ずいぶんご無沙汰してすみません。あっと言う間にアメリカに来て1週間が経ちました。

この1週間の出来事を一挙にご紹介します。

4日目
この日は昼からピッツバーグにある小さな空港の横にあるレストランでハンバーガーを食べてから、ホストマザーの方の知り合いのお宅に行き青じそを取りに行きました。とても良い香りで楽しかったです。家は築110年以上で、窓に模様があり、暖炉もあり、素敵な家でした。その帰りにピッツバーグのモネッセンという地域の空き家を少し見ました。どの家も大きくて煙突などがあり素敵なのに、空き家になっている物件がざっと見ただけでも20件ほどあり、これは問題だなと感じました。







5日目
午前中、ピッツバーグのHistorical Society という街の歴史の資料や記念品などが展示されている施設に行きピッツバーグが昔鉄鋼業で栄えていたこと、イタリア人、ロシア人、ユダヤ人などさまざまな人種な人々が暮らしていたこと、興味深いことを知ることができました。ここにはまた訪れてピッツバーグの歴史から空き家になっていった背景を探ろうと思います。午後からは アメリカミュージアムに行きました。アメリカ特にピッツバーグ出身の芸術家の作品が展示してありました。まるで写真のような絵や個性的な形の造形物もあり、見ていて楽しかったです。その後市役所に行き、ピッツバーグにはどのくらい空き家があるのかという資料をもらいました。それを見るとだいたい1千件ほどありました。この深刻な問題に対して、どのような対策をしていくべきなのかを考えていきます。


6日目
先日行った、Phippsに再度お邪魔しましました。そこで日本植物展の準備のための習字を手伝いました。お昼ご飯を食べた後そこから車で20分ほどのところにある自転車ミュージアムに行きました。どうやら、世界で一番大きな自転車ミュージアムのようでどこを見ても、様々な種類の自転車があり感動しました。

7日目
この日はピッツバーグ郊外にあるZEN CENTERというお寺のお祭りに参加しました。そして、ここでも空手の形を披露しました。見てくれた皆さんが温かい拍手をして下さり、なかには握手をして"Thank you"と言ってくれる方までいて、人のあたたかさを身に染みて感じました。そのほかにも子供たちと折り紙をしたり、お年寄りの方とお話したりと素晴らしい時間を過ごすことができました。そしてお祭りが終わり、帰っている途中の家があまりにも大きかったので思わず写真を撮りました。ただすごかったです。




8日目
この日はピッツバーグで家具つくりをされている有本忠雄さんとワシントンD.C.を訪れました。ワシントンD.C.はさすが首都というだけあって人が多く警備員も多くたっていました。ただ建物はピッツバーグと似ていて、石で作られているものが多く感じました。
National Gallery of Art、National Museum of African Artの2つの美術館に行きました。中にある美術作品はもちろん素晴らしいのですが、建物の空間の使い方、見せ方に様々な工夫があり、そちらにも感動しました。短い時間ではありましたが有本さんの解説を聞きながらワシントンD.C.を堪能できて嬉しい1日でした。

9日目
午前中は初めてのんびりと過ごしました。夕方、ピッツバーグの市立図書館で子供たちに向けて空手の形を披露しました。真剣に見てくれてそのあと蹴る真似や礼をする真似をしてくれてとても嬉しかったです。写真が手元にないので後日載せます。しばしお待ちを。






こんな感じで1週間が過ぎるのはあっという間でした。1日1日が僕にとって新鮮で今まで体験したことのないことばかりで、本当に楽しいです。なにより、会う人がみんなあたたかく接して下さって、感謝感謝です。だからこそ自分からもっと積極的になり、気になったことを聞いたり、思いを伝えていきたいです。1か月は長いようであっという間です。聞いたこと、見たこと、体験したことを全て吸収できるようにこれからも楽しみます!








まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #9

今日も朝から大音量コーランとGrabにお世話になってます。石原由貴です。
ちなみに今日のGrab(朝食ver)はまたもドライバーさん迷子になっていました。近隣の部屋の人に私の部屋まで連れて来てもらっていました。毎朝申し訳ないです。どんなに住所を送り直しても怒らないドライバーさん達に感謝です。
.
今日から大学の授業がスタートです。
またGrab登場です。車をチャーターして寮から学校へ向かいました。正直ここが1番緊張でした。
無事到着。(開始30分前)
バディに連絡、「え!?もう着いたの!?なんで!?」
インドネシアタイムでは授業開始ジャストに来ていいくらい...みたいですね。
.
今日は合同クラスだったので50、60人くらいのクラスです。
ちなみに専門科目は Foundation Engineering (基礎工学)と Concrete Technology (コンクリート工学)のに科目を受講。
.
*Foundation Engineering (基礎工学)
高専でまだ履修していない科目です。あえて近い科目で言えば地盤工学でした。地下にできた空間により地盤がずれ、表面にそれが現れる時の体積の求め方、原理等でした。
日本(特に大阪)でも地下構造物建設による地下空間問題、地下空間の移動による陥没...等々の問題が気になっており少し調べていたので、とても興味深い授業でした。
当然インドネシア語なので授業自体は何のことだか...イラストを見た直感とバディのたまに翻訳してくれる英語で問題を解いていきます。奇跡的に合っています。
日々の努力の成果...と信じたいところ。
.
*Concrete Technology (コンクリート工学)
こちらも高専でまだ履修していない科目です。
基礎工学が9割理解できたのならばこちらは1割。これはかなりやばいですね。(笑)
コンクリートの力が加わる方向性による強度の違い、練り混ぜの話、配合割合の話...等々が理解できた部分です。
こちらはインドネシア語、英語という問題ではなくそのものの理解が深まっていないと異国語で...というのはかなり難しそうです。
.
お昼は大学のcanteenへ。
新しい食べ物に挑戦しましたが、見るからに赤い。赤い...。
分かっていましたが一口でアウトな辛さです。
残念ですが名前は分からないです。
.
その後は図書館へ。大きな大学なので結構歩きます。
明石高専の何倍もの貯蔵数でした。学科数も生徒数もかなり違うので、当たり前かもしれません。
日本の図書館と違い荷物は持って入れません。盗難対策なのだとか。かなり分厚く大きな本ばかりなので中々盗まないとは思いますがね...(笑)
また図書館の中は、椅子机だけでなく下に座れるような、日本でいう居間のような空間がありくつろぎながら本を読める空間も。足や腰を痛めていたりしていても誰もが快適に利用できる空間です。素敵です、インドネシアの図書館。
.
その後は測量のクラスがあるとかないとか。バディが連絡があるから待とう、と言うので待ちます。私の部屋で。夕方が来ました。夕方です。夕方が来てしまいました。
どうやら今日はやらない日のようです。(笑)
インドネシアタイムですね。だいぶ慣れました。
ここで1日が終わりです。
.
.
高校生でありながら、現地の大学にて留学プログラム等用意されたクラスではなく、現地の大学生と同じ授業を同じように受講できる機会など滅多にない貴重な体験だと思います。この計画を受け入れてくださった大学関係者の皆様、また現地の留学生活を支えてくれる友達、遠く離れた日本で応援してくれている両親、先生方、先輩同級生には本当に感謝です。しっかり学んで帰ります。
.
それにしても異国の地で異国語で学ぶ専門科目ほど難しいものはないと感じる1日でした。

(※授業は写真を撮っても大丈夫だそうです)



2019年8月25日日曜日

まちづくりの将来像はIndonesiaにあり! #8

今日は早起きをしました。
と言っても4時半からのコーランの二度寝で起きます、石原由貴です。
.
朝からGrabで注文です。
チキンが食べたくなったので注文したのですが...。
またもトラブル。
今日は住所がわからなかったようです。何かを送ってくるのですが勿論インドネシア語。今日も今日とて分かりません。
住所再送信からのPlease。昨日と同じ流れです。
どうにかなるだろう、と部屋で待っていると、またも通知が。翻訳してみると、どの建物?でした。
私がいる寮は名前がついていますが、敷地内に沢山あるのです。
しかし残念なお知らせですが、私もどこの寮にいるのかなんて知りません。知っとけよ!って感じですね(笑)
わからないもの同士探します。見つけます。奇跡です。
インドネシア語で話しかけてきますが、どうやら怒っていないもよう。探したよ〜という感じでしょうか。
温かい人が多いですね、素敵です。待っていてくださって感謝です。
因みにご飯も温かかったですよ😉味は...ね、はい。
.
.
午後はトビタテの活動の一環、アンバサダー活動(日本紹介)を実施です。
昨日の晩に、「ねぇねぇ、明日空いてる?部屋来て!日本の物いっぱい用意してあるから!」と呼びかけ。
何人くるでしょうか...
時間になっても0人。来ないのかぁ...いいえ、インドネシアタイムなだけです。彼らは時間こそ曖昧なものの約束はきちんと守ります。良いお国柄ですね。
30分くらいは全然許容誤差内に入るようになった私もかなりのインドネシアタイム。5人も来てくれました。万歳。
.
早速スタートです。
朝ごはん今食べるわ、と超マイペースな友人が1名いるので日本の伝統的なお菓子(駄菓子セット)は開始5分で配布。
なにこれ!と金平糖に興味が。確かに言われれば形も色も不思議な食べ物ですね。日本の駄菓子は可愛いものが多いです。普段は日本で駄菓子は食べないのですが、今回の為に買いに行った時改めて気づきました。
この繊細さ、手先が器用な職人技が発達した日本ならでは...なのかもしれません。
.
次に折り紙。
普通の折り紙ではなく、和柄や友禅柄を用意。Sakura!Kimono!と大盛り上がり。まだ折ってないんですがね(笑)
日本のものがここまで喜ばれる、嬉しいことです。
・鶴を折ってこれは日本で1番有名な折り紙だよ
・兎を折って日本では月に兎がいると言われているよ
・鯉のぼりを折って日本では5月になると家の前に健康願って鯉をあげるよ
・兜を折って侍が被ってたよ、5月に家に飾るよ
等々説明しながらみんなで折っていきます。
兜の説明が分からなくなってサムライヘルメット!っと言った時は大ウケでした。兜ってなんなんでしょうか...(笑)
.
続いて習字。
習字セットが重かったのとセットをプレゼントしてあげたかったので、本物ではなく筆ペンと日本のポストカードを準備。
希望、命、日本、志...順番に書いていきます。一つの漢字にたくさんの意味、読み方がある事を理解してもらうのに時間がかかります。
なんで?なんで?なんで?...私も、確かに...なんで?です(笑)
沢山練習した後は、ポストカードの説明です。私は旅行とカメラ(写真)が好きで、色々な場所を巡っています。そこで撮った写真をハガキにプリントアウト。その場所の説明をしていきます。
ここは京都で西の都だったんだ、これは当時の建物で〜...これは日光で江戸時代の将軍を祀ってて〜...東京は東の都で今は高層ビル街で〜...鎌倉は仏教の文化を反映している場所があって〜...富山には日本一大きなダムがあって〜...
などなど。みんな、すごーーーい!!と興味津々。
裏に地名を漢字で書いていきました。鎌倉が難しかったみたいですね(笑)
日本は本当に魅力溢れる国だと気付かされます。
日本に生まれ日本で育ったことを誇りに感じます。
.
駄菓子、折り紙セット、習字セット、ポストカードの他に
扇子、文房具、日本のおもちゃをプレゼント。
わぁ!!日本に行ったみたいだ!と言ってました。
日本の事を知ってもらうだけでなく、日本の事を好きになってくれたようで、とても嬉しいです。
.
終了後はみんなでお昼を食べに外出。
とても美味しい店でした。2、3日前ホストファミリーのご飯が美味しいと書きましたが、これは更新です。
どうにも受け入れられない文化の違いが、手で食事をするところ。無理をする必要もないので、スプーン、フォークを使います。
みんなは器用だね〜と感心して見てきますが、私からすれば手で切って食べる方が器用です...(笑)
お箸を使った時は軽く歓声が上がるほど。お箸を持つ姿は美しいのだとか。日本の魅力をまた気付かされます。
.
みんなといるとこんなに英語話せたっけ?というくらい盛り上がります。優しい友人たちが合わせてくれているのでしょう。来週はdowntownへ出かけない??でも映画も良いよね〜!とお誘いも。
私は今日も幸せな友人たちに囲まれてインドネシアを学んでいます。