2016年8月31日水曜日
見ると幸せになれるアレに出会えました!!(5日目)
Rosny Hill (5日目)
英会話チャレンジ! with Tasmanian Student (5日目)
今日の授業は音楽と日本語。自然科学と社会の授業も受けるつもりだったが、学校行事の方を優先したので休んだ。
二時間目 音楽
サックスを吹かせてもらった。此処の楽器はいいものとは言えないし、自分のスキルも落ちていたのでいい音はならなかったが、先生に「上手だね」と褒められた。どうやらこの学校ではジャズやロックミュージック、作曲にいい力を入れていて、クラシックはあまりやってないみたい。宿題として好きな曲の分析をすることになった。そして授業終了後、先生と交渉して来週にアンバサダー活動をさせてもらえることになった。頑張ろう。
昼休み international food festival
今日は5ドルを使って留学生の料理を食べてまわった。私が食べたのはネパールのチキンカレー・マカオのチキンカレー・タイのチキンバーガー。
昨日の梶原さんのコメントを読んで、思い切って現地の学生の会話に割り込み、一緒に話をしながら食事を楽しんだ。学生の話すスピードは相変わらず速すぎて、分からないままだが、唯一聞き取れたのがアメリカンジョークならぬオーストラリアンジョーク。
写真の奥の明るい男子が、(名前わすれちゃった、ごめん!)
「俺たちは楽器を演奏するのが得意で、俺はベース、彼がドラム、そして彼女はいつも男と遊んでるんだぜ」と、playを使ったジョークが聞けた。これを聞いたとき初めて英語での会話で爆笑できた。
三時間目 日本語
私にとって日本語の授業は分かりやすい英語の授業。
簡単な日本語を英語に直し、先生にチェックしてもらえる。
今日はハイチュウをみんなにプレゼント。みんなおいしそうにたべてくれたのでよかった。
放課後
放課後、週に一度ホバートに日本語を教えにきている方と、タスマニアについての情報をもらった
。彼女の情報によると、
①ホバートでは最近住宅開発が進んでいてだんだんとhillのうえの方に家が建ってきている。
②歩行者信号機のパターンは3種類で、青・赤点滅・赤。赤点滅は日本でいう青点滅。私はそれを赤信号と勘違いしていた。
③国立公園である「Mt Field National Park」は行った方がいい。いろんな動物に会える。
④イオンが宣伝紙ているタスマニアンビーフはタスマニア北部(devonport周辺)のもの。
⑤公共交通機関が少ないので、みんなが車を使う→環境に悪い
⑥たまにオーロラがみれる!?
など
いろいろと情報をもらえたし、日本語が喋れたし(でも関西弁が上手く話せなくなってる)、心が安らいだ。
明日は私の協力者である、タスマニア州政府の方と初めて実際に会う。緊張するが、頑張りたい。
アマゾンの使い方
ネパール8日目
今日は朝から濃霧と雨。いつも見えるヒマラヤの高峰どころか、10メートル先も見えない。日本の秋とは違う肌寒さの空気が漂っていた。けっきょく悪天候のため午前の調査は中止。時間が空いたので、いつものように椅子に腰掛け本を読むことにした。本は二冊持ってきていたが一冊は先日すでに読みきっており、もう一冊の方もけっきょく今朝読みきってしまった。今まで数多の書物を読み漁ってきた僕だが、今日読んだものが間違いなく一番だと感じる素晴らしい物語だった。なぜ僕は本を読むのか。もちろん娯楽なのだが、本というものは深い思考への通行証のようなもので、書物を読み終えた後は、余韻に浸りながら、普段たどり着けない自己の奥深くを泳ぐことができる。それが一番の魅力だと思う。
そうして端からみるとボーッとしているように見えるだろう姿で、思考を張り巡らしているうちに、昼食の時間に。
毎日タイ米を食べては、パサついた食感に嫌気がさし日本の米が恋しくなっていた僕だが、とうとうタイ米にも慣れる日がきたらしい。タイ米が美味しく感じると同時に日本の米ってどんな食感だったっけ、と心の中で呟いた。やはり慣れはこわいなと思う。
昼食後はジルとソリティアで遊んだ。僕が強いのか、ジルが弱いのかは定かでないが、何回やっても勝ってしまい、その度にジルの苦笑いがぎこちなさを増していくのが申し訳なかった。だがたかがゲームだろうと勝負であることに違いはない。手を抜くのは一番誠実さに欠ける行為だし、そんなことはしなかった。
ソリティアの後は新しい楽しみを探そうと持ち物を色々と確認してみた。そして電子辞書の素晴らしさに気付いた。今までは辞書としてのみ使っていたのだが、他にもたくさんのことができ、クラシックを聴くことや、季語図鑑でたくさんの美しい言葉に触れること、宮沢賢治を筆頭とする日本の名作家たちの小説を読み漁ることなど、これに気付いたときはなんだか隠された宝物を見つけたときのようで嬉しかった。その後電子辞書に釘付けになっていると、相変わらずひどい霧だったが雨が上がったので調査に出かけることになった。しかし、霧で視界が悪く、雨のせいで動物たちは隠れてしまっており、ほとんど成果はあげられず、ただひたすらに靴を這い上がってくる大量の山蛭と戦うことになった。調査から帰ってくると拠点はとても賑やかになっていた。アンナプルナのトレッキングに行っていた四人が帰宅しており、新メンバーのラファエルが到着していたからである。そのため夕食はとても楽しく、英語はあまり聞き取れないが、皆につられて僕もたくさん笑うことができた。また、くしゃみをする度に皆に「Bless you」と声をかけられるので、なんだろうと調べてみると、どうやら中世ヨーロッパではくしゃみをすると魂が抜けて悪魔が入り込むと考えられていたらしく、それの名残としてこのような文化が生まれたようだった。「Thank you 」と返すのが通例らしく、またひとつカルチャーショックを体験することできた。
今日はけっきょく一日中ぼつぼつと雨が降ったりやんだりで、霧の濃い日だったので、シャワーは冷水。こればっかりは慣れることができないなと痛感した。
今日は自己対話からたくさんのものを得られ、最高の物語にも出会うことができ、英語での会話・食事・活動にも慣れが強く感じられるようになった手応えの大きい一日だった。
それでは、また明日。
lluvia
lluviaはスペイン語で雨。雨季のコスタリカは最近雨ばかり。雨の森もいいが風邪をひきそうにる。
今日も午前中は昨日と同じく苗木の管理。ずっとコンクリートブロックの上に座っていたのでお尻が痛い。ただ昨日よりは慣れた手つきで作業することが出来ました。
午後は書いたとおり雨なので活動は中止。
コウモリ観察したいからどっか1日だけでもいいから晴れて欲しいですね。
明日は朝一でインコの保護プロジェクトらしいので5時起き。
今日は早めに就寝ですね。
ありがと🐱
こんにちは。
前回の投稿を見て本当に励ましてくださった方々ありがとうございました。
元気になりました。よしゃ。明日も頑張ります。
これはドイツで放送されている(たぶん)教育番組です。
2016年8月30日火曜日
Lightning
先日の作業は苗木の管理とコウモリの観察。初日のコウモリプロジェクトとは異なるものです。
苗木の管理は至ってシンプル。オスカーが陽気な音楽をかける中小さな苗木を少し大きなプラスチックバックに移し替える。その作業を3時間ほどしました。その中で方言の話が出てきました。オスカーによるとコスタリカのスペイン語は他の国に行くと通じないとか。日本と一緒だなと思いました。
午後はコウモリの観察に。と行きたかったのですが車で途中まで送ってもらって歩き始めて10分後悪天候。雷も鳴っている。安全第一ということもあり急いで寮に戻った。コスタリカは今雨季ということもあり午後はよく雨が降る。ただここ数日は雨が強く雷も鳴る。それが3時間ほど続く。今は1人。心細いが寝ることにした。
そしてシャワーを浴びてるとアシナガバチがいるではないか。毎日アシナガバチ見てるとはいえシャワー中に出てくるのは反則だろ。怖かったです。
そんな1日でした。
大稻埕で 3日目と4日目
昨日、余裕を持ちすぎて滞在先を出てしまったので待ち合わせ時間の30分前に到着...そのまま30分待ちました。
オフィスは綺麗なところでしたが、どこか懐かしい雰囲気の漂う小さなオフィスでした。
そこで、「この机とパソコン自由に使っていいからね。じゃ、あなたのワーク初めて頂戴。」とあっさり言われ、この1ヶ月どのようなプランで進行させていくかを説明できるようにと準備してきたのですが、意味なかったようです...(笑)その日から月曜から金曜(土曜もしたければ)大稻埕というところで作業をします。
私のワークというのは、大稻埕のマップとそのマップと連動したウェブサイトを作ることです。
そのためにまず、実際に大稻埕を歩いて回って写真など材料を集めます。初日と昨日はそのために一日中炎天下の中歩き回ってました。
ゴールは正直まだ明確ではありません。現地の人にも何かプラスになることをしたいと思っていましたが、私の知識、語学力ではたった1ヶ月では不可能であると考えました。
9月23日に私がプレゼンさせていただける機会を設けてくださったので、そこではこの地で自分が学んだことをお世話になった人に見て頂けるようにします。
この2日間で、大稻埕には興味深いものがたくさんあると分かりました。お寺とか、屋台とかだけでなく、築100年以上のレンガ造の建物がおしゃれなショップやコミュニティの場所として使われています。しかし、ここは日本人観光客がほかの所に比べてまばらなので、地元の人や学会の人には「もうそんなことは知ってるよ」という内容かもしれないけど、行ったことない人にとって行ってみたいと思わせれるようなマップを作ろうと思いました。
(日本語下手ですみません...)
このオフィスには大学で日本語を専攻していたという方がいらっしゃいます。ここだけでなく、私が行くとこ行くとこに日本語喋れる人がかならずと言っていいほどいます。
日本語喋れる人はたくさんいるから、日本語専攻している人は就職が難しいそうです。
明日はアンケート調査に乗り出します!!!
インタビューの練習(4日目)
店員さんに星座表を出してもらえたので、それを買った。(19.99$)
彼女は「タスマニアはいいところだから、1か月と短い時間だけど精一杯楽しんでね」と私を元気づけてくれた。ありがとう。
今は雨なので、星は見れない。今夜はジェフと一緒に土曜日の本番に向けてインタビューの練習をした。私は市議会議員としての彼の意見も聞きたかったが、彼は仕事後で疲れていて十分な答えが出せないようだった。なので、彼の答えは日曜日にもらおう。
彼は一人暮らしなので、家事もすべて一人でしないといけない。何か手伝うことはないかと思い、明日の昼食のサンドイッチを作った。彼はありがとうと私に言いとてもうれしそうだったので、これからは毎日昼食作りを手伝うことにする。
ここにきてから時間の流れがゆっくりに感じる。毎日が新鮮ですがすがしい。現地での生活は意思疎通が難しいし疲れるけど、小さなことで喜びを感じれるし、明日に向けて頑張ろうって思える。私は幸せ者です。皆さん、ありがとうございます。
ネパール7日目
今日で1週間。ネパールでの生活にもなんとか慣れてきた。
今朝も7時に起床。昨晩は停電で懐中電灯しか明かりもなかったので早くに床についたのだが、徹夜の多い建築学科に入り染み付いた「寝れる余裕があるときに、寝れるだけ寝る」というポリシーというか癖が抜けず朝早くに目は覚めていたが、文字通り寝れるだけ寝てしまった。8時間以上眠ると睡眠が苦痛になってくるのだが、それでも寝てしまう。そして、苦しいなら起きればいいのに、といつも起床後の自分にいつもいさめられる。
午前中は野鳥調査へ。今回は山中の道なき道を進むハードなコースだった。だが僕の身体も山に強くなってきたのか、初期のような辛さは感じなくなっていた。鳥の調査なのだが珍しい鷹を発見したときよりも、正直クワガタのメスを見つけた時のほうがテンションが上がった。いっそクワガタとカブトムシの調査でも追加してもらいたいものだ。
午後の調査は3時半からだったので、雲行きが怪しくなる前にシャワーへ。どうやらソーラーヒーターとやらで水を温めているらしいので、雨や夜はもちろん、曇りでもお湯が出なくなるので、晴れるとすぐにシャワーに向かう。忙しない生活だ。無事温かいシャワーを浴びた後は調査まで英語Bの勉強をした。そろそろはじめないと学校が始まってすぐに追試験という地獄を見ることになる。学んだ文法をすぐに試せるいい環境にいるのだから、しっかりと身につけて帰りたいものだ。その後時間が来たので僕らは蝶の生息調査にむかった。獣道のような細い山道をしばらく歩くと、ふいに視界が開けた。草原だった。明らかに人工的に均された草原で等間隔に石が並んでいる。どうやらここが今回の調査場所のようで、ジルもミーガンも道具の準備をはじめた。僕は考えた。なんだここは?なんのための場所なのだ?考えを巡らして、答えに行きつく。ここは墓地だ。僕が気付いた少し後に、準備の終わったミーガンから、ここは墓地だと教えられた。ジルがまだ準備をしていたので、先に少し歩いてみた。墓石には文字が刻まれていない。いや、刻む必要がなかったのだろうう。最後までヒマラヤの大地に寄り添い、ヒマラヤに還る。そしてヒマラヤの一部となり子孫を見守る。そこにもはや名前は必要ないのだ。墓石の前に立ちすくみ、そんなことを考えていると、後ろからミーガンにトンっと背中を押され、現実に戻る。蝶の調査はけっきょく全然だめで、見つかったのはたった1匹。晴れていないと蝶は隠れてしまうそうだ。多い日は50匹以上見つかる、とミーガン。次に期待だ。
帰ってくると、もう夕食ができていた。今夜はピザで、久しぶりにカレーから離れられるという嬉しさと、食べなれたものが出てきた安心感で、テイストは少し日本のものと違ったがとても美味しくいただけた。
夕食の後はここでの暮らしの中での疑問点を英語で紙にまとめ、ジルにその紙を渡し回答を書いてもらった。どうやら今週末ポカラに降りることができるみたいだ。週末がとても楽しみだ。
気付いた文化の違いや、ここでの暮らしの詳細などについて記そうと思っていたが、もう眠たいので、また次のときに。
それでは、また明日。
みんなが先生です(4日目)
今日の授業は救命、数学、観光。
それぞれで専門の用語を使うので、なかなかついていけなかったが、隣の人に聞いたらわかりやすい英語で教えてくれた。また観光の授業では、タスマニアの名所をたくさん教えてくれた。
お世話になる私の先生はたったの数十人ではない。この学校の学生1000人と町の人を含め、私に関わるすべての人が私の先生であることを実感した。
だんだんと先生の会話は聞きとれるようにはなっているような気がするが、学生の会話がこれっぽちもわからない。
今は授業が終わり、学生の会話を盗み聞きしています。
What we have to do.
11日目
パソコンしかwi-fiにつなぐことができず、ケータイが一切使えないので苦戦していましたが、PC本体をwi-fi化できると教えてもらったので、がんばってみようと思います。
また、1日中暇でさみしすぎたので、今日は気を紛らわすためにずっと勉強していました。
あと、ここに来てから初めて料理を作りました!スープ的なものをつくりました。でも、火力が弱すぎて中々野菜が柔らかくならず、出来上がるまでに他の物を食べていたらお腹いっぱいになったので、まだどんな味かわかりません…。次のお昼に食べようとおもいます。
2016年8月29日月曜日
一人で町探検(3日目)
4:00~6:00 ホバートの町探検。
信号を渡りたいが全く青になる気配がない。しばらく待っていたら、後ろから来た人が信号のボタンを押した。どうやらホバートではすべての信号機に押しボタンがついているようだ。ようやく青信号になったのでわたりだしたが、5歩歩いたらもう赤。早っ。
しばらくしてトイレ休憩。手を洗って乾燥機に手を突っ込んだら、ものすごい音と風が。おそらく日本の2倍くらいのパワーがありそうだ。
プレゼント(3日目)
学校スタート!(3日目)
1時間目 日本語(level3)
少人数で日本人を含めた6人での授業だった。新しく私がやってきたので、まずは日本語で自己紹介をすることになった。それにしてもみんな日本語が上手い。最後に私の番になり、日本語でしゃべってみたが、標準語の片言でしかしゃべれなかった(自分でも驚いた)。
2時間目 自然科学と社会(level3)
専門教科ということもあり、大まかないいたいことは分かるが、単語が難しく、聞き取りづらい。しかも授業内でどんどん会議が始まる。日本では授業中に手を挙げて発言したりするが、ここではそれは通用しない。先生が説明してるすぐそばから質問が飛び交う。私は聞き取るだけで精一杯だった。
3時間目 英語
最初は自己紹介を英語で書いた。タスマニアで何をしたいか、10年後何をしていたいか、もし1000$をもらったら何をしたいか…などなど。そして途中から、学生証を作りに事務室へ移動。事務の人は学校の先生よりもしゃべるのが速くて全体の5%くらいしか理解できない。対策として聞き取った英語を紙に書いて確認して話を進めた。そしてなんとか授業選択と事務手続きが完了。
今日の授業はここまで。
10日目
8/28
今日は朝から移動でした。
お昼ごろにベラルーシ国立大学の寮に入寮しました。日本語ペラペラのベラルーシ人の女性が付き添ってくれて、とても心強かったです。また、同部屋の韓国人のお姉さんも優しそうなので、1ヶ月間がんばりたいと思います。とにかく今日は疲れました…
ネパール6日目
今朝は目覚めが悪く、ジルが朝ごはんの時間だと起こしにくるまで眠っていた。
午前中は読書にふけった。この調子だともう読み終わってしまうなと危機感を感じながらもページをめくる手は止まらず、僕は物語の世界に引き込まれていった。
昼食の後は、また村へ探険に出ようと考えていたのだが、雨が降ってきたので断念。ネパールの雨は粒が大きいと感じた。トタン屋根に雨粒がぶつかってリズミカルにトントンっと音を奏でるのは心地よいが、僕はしとしとと降る霧に近い粒がとても小さい静かな雨のほうが好きだ。予定がなくなってしまったので課題を進めようかとも思ったが、気が乗らなかったので読書の続きすることにした。湿っていて少し肌寒い空気が心地よかったのでフリースを着こみ、屋根のしたに椅子を置いて読むことにした。けっきょく二時間くらいで読みきってしまった。本の内容を語りはじめると止まらなくなるので明記することは避けるが、終始切なく、胸が締め付けられる作品で、読み終わった後は、椅子に腰掛けたまま余韻に浸るというか、呆然としていた。
その後はシャワーを浴びて、だれかメンバーとトランプをしようと考えたが皆部屋から出てこないし、トランプでタワーを作ったりしながら物思いに耽った。
夕食ではチキンがでた。骨などはそのままでぶつ切りにしたものなので、食べるのに苦労したが美味しかった。
夕食の後は満天の星空を眺めながら、ただただぼーっとしていた。無心というやつだ。
だが、こうしてのんびりとした時間を過ごしているときは、いつも心のどこかで、「たくさんの人が支えてくれ、やっとの思いで実現できた留学だ。何かしなくちゃ、何か掴み成長して帰らなくちゃ」と焦る。
明日からまた活動だ。気を引き締めていこう!
それでは、また明日。
無事生きてます!!
英語がなまりすぎて全く分からなかった!!
私のホストファザーはニュージーランドの人で、英語がいわゆるニュージーランド弁。Todayの発音は「トゥダイ」、Babyの発音は「バイビー」、とにかくAの発音が常に「アイ」なのだ。全くついていけない私ですがすごく楽しんでいます!何を言ってるのかわからないのが、なんだかおもしろくてつい笑ってしまう、、、。たった二日で相槌が達人になりました!とにかくRejoindersを磨いていたら、行くところ行くところで日本人なのに発音がうまいとほめちぎられました。わたしはとにかく適当かつポジティブに笑顔を振りまいてひたすら相槌とリアクションの繰り返しです。これまた自分でやってて笑えてきます。会話ってわからなくても楽しいものですね!
そんな私は今日、学校へ初登校。オリエンテーションを受け、制服を手に入れました。日本人の留学生に会うこともできました。留学担当の女性が二人いて、一人は日本語が得意なようでした。私は日本語が話せるほうの方にオリエンテーションを受ける予定でしたが、英語しか話せない方と盛り上がり、結局私は英語でオリエンテーションを受けることに。後から日本語ができる方が来たのですがなぜか彼女もノリノリEnglishのまま会話に参加し、私は日本語を聞くことなくオリエンテーションを終えました。
中国人の男の子とも話したのですが、彼も私の発音をとてもほめてくれました。話せたのはとてもうれしかったのですが、私はその時数学のテストを受けた後で疲れており、お昼を食べておらずお腹が空っぽで朦朧としていたので彼の名前は覚えていません(笑)
画像はまた後程、、、、。
いい眺め
登山してきました。もともとの予定だと今日公園に戻る予定でしたが急遽もう一泊。そしてフリーになった今日滞在してるところからほど近い山に登りに行きました。思ってた以上に道が急。ハードでした。体力がどんどん奪われる。完全なる体力不足。それに加えコスタリカは標高が少し高いらしい。余計にしんどく感じた。ただ登り切った後頂上から見る景色は最高。晴れてくれてよかったです。帰り道に近くの川に涼みに行きました。
昼食をとり午後はノープラン。ゆったりと猫とじゃれ合いながら過ごしました。本持って来ればよかったと後悔しています。
明日朝一で公園に戻ってボランティア再開。充実した休日でした。
9日目
8/27
今日はスポチャンフェスティバル最終日でした。参加したみんなでオリエンテーション的な何かをしました。目隠ししてチャンバラしたり、ロープを渡ったり、ロープに触れないようにくぐったり、ひたすら湖の水をくんだり、マウンテンバイクで山の中を激走したり、でかいパチンコをしたり、棒を投げて積み木を壊したりなど、めっちゃ体を動かして遊びました。オリエンテーションのあと、久しぶりにバレーボールをしました。楽しかったです。
夜は、さよならパーティーをしました。日本チームはみんなスーツを着て、今までで一番盛大なパーティーだったと思います。
2016年8月28日日曜日
ホバート観光(2日目)
8日目
8/26
女子小太刀 優勝
長剣 優勝
二刀 優勝
一般有段小太刀 3位
基本動作 3位
世界大会で見たことがない人も出場していたので、
試合のあと、基本動作の講習会が行われました。
また、ハプニングも発生しました。
7日目
8/25
今日は朝から夕方までベラルーシの首都であるミンスクを観光して
夜はまた遅くまでティーパーティーをしていました。
6日目
8/24
今日は午前中だけ体育館で練習をしました。初日とは違うロシアの道場の先生が指揮をとっていました。主にフェイントをかける練習をしました。私は基本フェイントをかけず、一発で決めに行くタイプなので、今日の練習は少し難しかったです。しかし、日本でもよくフェイントを使えと言われるので、とても勉強になりました。
午後は馬に乗りました。ホテルの広場にたまに歩いています。ポニーには乗ったことがありますが、馬に乗ったのは多分初めてです。うまに乗って森の中を歩き回りました。もちろん誘導者がいるので安心ですが、高いしめっちゃ揺れるしクロックスだったので、自分よりもクロックスが落ちないようにするのに必死でした。
私が馬に乗っている間に、後発組の日本チームが到着しました。あんなに来ると言っていた名誉会長がなぜか来ていなかったです。みんなが来たので、近くのバーでウェルカムパーティーをしました。私たちが来た時よりも断然豪華でした。
最初から来ている私たち2人と先生方は、いつも通りいろんな国の選手と楽しくしゃべっていましたが、大学生3人は日本人同士で固まってしまっていて、もったいないなと思いました。私たちは最初、頑張って話しかけて情報を得ないと生活できなかったのですが、大学生たちは私たちになんでも聞いてきて現地の人としゃべろうとしなかったので、パーティーが終わったら私たち2人は子供たちの部屋にポーカーをしに行っていました。初めてポーカーをしたのですが、ルールを理解したらとても楽しかったです。子供たちが寝る時間になったので広場に戻ったら、いつも通り音楽が流れていてみんな踊っていました。適当にさらっと抜けたらいいのに、まだそれを知らない大学生たちは完全に抜けるタイミングを失っていて、少し可哀想だったので助けに行きました。3時間ぐらい踊っていたそうです。でも少し馴染めたかなと思います。先生たちは現地の先生と酔っぱらって楽しそうに踊っていました。