2016年9月26日月曜日

ネパール34日目

33日目は朝から夕方までポカラからカトマンズへバスで移動。カトマンズは雨でおとなしくホテルで荷物の整理などに勤しんだ。移動でほとんど一日が終わってしまったため詳細は割愛。
そのかわり今日たくさんのことがあったのでそちらをどっさりと書かせてもらう。
以下本編
まずバンダ(ゼネラルストライキ)について説明する。バンダはネパールで定期的に開催される今の政治体制に不満を持つ者たちが開催するデモで、バンダの日は終日車等の交通網は停止し(もしデモ団体に車を乗っているところが見つかるとへたすればボコボコにされる)レストランや土産屋も全て閉まる。困った行事だ。
そしてその行事がちょうど今日開催されると2日前に在ネパール大使館からメールが入った。しかし昨日、街の様々な人に確認したがバンダの話なんか聞いていない。前日までには国営放送で告知があるはずだがなかった、と口を揃えて言う。どうやらJICAでネパールを訪れている日本人の方に確認したところ、今回のバンダはなぜか中止となったらしい。きっと神様が最後の一日を楽しめるよう計らってくれたのだろう。帰ったら旅が安全で楽しくなるようにと願った神社さんにお礼参りに行かないと。
またカトマンズの交通渋滞は恐ろしく、そこらじゅうでクラクションが鳴り響く。街が騒がしく、混みあいだすと実践活動どころではなくなる。なので朝の6時から騒がしくなり始める8時半までを実践活動にあてた。早朝は人もまだまばらで現地の人々の素の生活の一部を垣間見ることもできた。それとカトマンズのゴミの量はポカラなど他の都市が比にならない多さで、半径1mの円の中にだいたい5個くらいは落ちている。けっきょくホテルの近辺の清掃で精一杯だったが、きれいになった路地を見るのはなかなか達成感がある。車にひかれそうになったが、少しでも現地の方になにか少しでも伝わっていたらいいな、と思う。
終わったあとは最後だし、少し肩の荷をおろして思いきり観光させてもらうことにした。今までたくさんの圧力をかけられてきたが、やることもやったし、今日くらい自分が楽しむためにたくさんの時間をさいてもいいだろう。自分へのご褒美というわけだ。
というわけで午前はとりあえずタメル(カトマンズ1の土産物屋地区)をぶらぶらと見てまわる。どこもやはり高い言い値をふっかけてくる。年端もいかない日本人などカモらない手はないというようだ。そこで、しばらく言い値を聞いて回り、いかついサングラスを装着。あらためて違ういくつかの店で言い値を聞いてみる。平均して20%くらい言い値が下がった。なんだこれ。人は一見にしかずと言うがやっぱり見た目は大事なんだ。
そして午後はまずタメルからタクシーで20分かけてパタンという大きな寺がそこらじゅうに建ち並ぶ仏教都市へ。お目当ては寺の見学とガネーシャという日本人の経営している土産屋だ。
到着後、まずは寺の見学はさておき、ガネーシャへ。土産の購入に加え、パタンの観光やネパールについての話、予備知識等の情報を仕入れるためだ。日本語の上手なネパール人のお姉さんが迎えてくれ、奥には店主の日本人のおばちゃんが。彼女は西宮出身で、関西弁に親しみが感じられた。路地を一本外れると住宅街にガラリと様変わりし、人々の素の暮らしを垣間見れると教えてくれたので、購入した土産と荷物を預け、いざ裏路地へ。メインストリートにあれほどいた観光客はまったくいない。建物の縁に腰掛け数人のおばちゃんたちがぺちゃくちゃと世間話に花を咲かしている。都市部の、商売人としてのネパール人ばかりを見てきた僕にはとても新鮮に感じる。しばらく歩くとお姉さんたちがせっせと機織りをしている。写真撮っていい?と聞くと、かなり照れながらも快諾。本当に親切な人ばかり。その後なにやら火花を散らしながら金属を加工しているおじいちゃんを見つけ、また写真の許可を求めると、中に入って近くで見せてやる。と張り切ってくれた。しばらく作業を見学。何を作っているのかはよく分からなったが、おじいちゃんとたくさん話をすることができた。彼には3人の息子と2人の孫がいて、孫がかわいくて仕方がないだとか、お前は次男にそっくりだから気に入っただとか、長男はフィンランドに出稼ぎに出てここ10年近く戻っていないだとか、とにかく身内の話が大好きで、家族愛に溢れているおじいちゃんだった。別れ際に家族は宝物だ、なによりも大切にしなさいという言葉をくれた。素朴で親切で家族を大切にする、そんなネパールの人々の素の姿を少しの時間だが感じることができて、本当にいい体験をしたなと思う。
そしてゴールデンテンプルというこじんまりとしているがまさしくゴールデンなお寺を拝観。なぜか一人のおじいさんに気に入られ、色々と寺を案内し一つ一つの仏像について丹念に説明してくれた(ほとんどネパール語のため理解できなかったが)。そして基本的に一般人は立ち入れないお経をお坊さんたちが詠んでいるところも許可をとってくれて見させてもらうことができた。日本のお経より少しリズミカルだった。そして一通り見学もしたので、おじいさんにお礼と別れを告げ、ガネーシャで荷物を受け取りタメルに戻る。
次はガネーシャのおばちゃんが教えてくれたネパールでは珍しい、最初から適正価格(普通の店舗で値切った場合の底値)で土産を売ってくれ、すべての商品に値札がついているアメリアクラフトというお店へ。シンギングボールという金属のおわんのようなものを購入。木の棒のようなものでシンギングボールのふちをなぞるにクルクルと回すと「ほわんほわん」と独特の美しい音を奏でるものだ。
そして次はフレンドリーエクスポートという日本人経営のショールのお店へ。
ここの店主のお姉さんが面白い人でショールのことも忘れ、二時間くらい話し込んだ。彼女はネパール人と結婚し、ここ4年くらいはずっとネパールに住んでおりネパール語も流暢。現地人のこともよく知っており、ネパールの現状を色々と教えてくれた。そしてショールの方も直接彼女が生産場にオーダーしたハイセンスなものがかなりリーズナブルな値段で揃っている。安いものだと400Rs、かなりいいカシミヤ80%くらいのものでも4000Rsくらい(1Rs=約1円)で、質の方も日本のものよりも高いくらい。日本で同じものを買うとだいたい3~6倍くらいする。使われている素材についてや、安いものがなぜ安いのかなども事細かに説明してくれ、家族等へのお土産も含め計9枚購入した。
ホテルに帰るとなぜか荷物が他の部屋に移され、明日からプロジェクトアブロードのプロジェクトに参加するおじさんとおにいさん(偶然二人ともドイツ人)と合部屋に。おいおい勘弁してくれよと心底不満に感じる。しかしまあ1日くらい別にいいやというわけで容認。食事の席などでいくらか話をし、少しはお互いを知ることができた。
そして夕食もシャワーも済まし二人は就寝。僕はブログをかきはじめた。右からはおにいさんのドイツ語の寝言が、左からはおじさんのいびきが絶えず続いているが、まあ寝れないことはない。
実践活動も完遂、喧騒の街カトマンズで思う存分楽しむこともでき充実した最後を味わうことができた。
明日はとうとうネパールとの別れ。
それでは、また明日。

1 件のコメント:

  1. 松本君
    留学に出る前と
    帰国が迫った今現在と
    かなり変化があったよね。
    正直、松本君がここまでひとりで行動する力があるとは
    思っていませんでした(ごめんなさい)。
    とても心配していましたが取り越し苦労でしたね(^_^;
    ただ、お家に着くまで何があるか分からないので
    最後の最後に苦い思い出にならないよう
    慎重に行動してくださいね。

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